神高槻神社
(かみたかつきじんじゃ)


近江国伊香郡
滋賀県長浜市高月町高月1
(P無し、近隣コインP有り)

■延喜式神名帳
神高槻神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
天児屋根命
高額比売命(タカヌカヒメノミコト)


長浜市「高月町高月」の中心地に鎮座する社。「高月」の地名由来となった社でも。
◎創建由緒等について、「高月沿革誌」を引く滋賀県神社庁は「往古字宇根野ヶ原辺りに、上代より槻の巨木あり。此槻に春日神降臨ありて、氏神と崇敬し、天平年間一祠を建立して、天児屋根命を奉斎した」としています。
◎その往古の鎮座地について社頭案内では、当村の南西の方「畔のが原の久理原」であると。
現在、当社南西方向700~800mほどに「高月町宇根」という地が残ります。そこには春日神社(未参拝)が鎮座しており、当社と関係があるのでしょうか。滋賀県神社庁データには当社のことは一切触れられていませんが。
◎一方で「神高槻神社紀」という古書には、「人皇第四十五代聖武天皇の御守近津阿波海州伊香郡高槻里 神座神高槻神社の本源は、神霊の斎く所高額比売命則神系は、息長宿禰王葛城之高額比売命を娶りて息長帯比売命を生ませる。柳勧請本紀は平群広枝臣神夢感応の余り、社殿を造立し神座を奉ずる」とあります。
◎こちらはもう一方のご祭神である高額比売命の記述。平群広枝という者が見た夢に高額比売命が現れ、感応したので祀ったというもの。その高額比売命は息長宿禰王の妃であり、神名から大和国葛城地方の出身であることが分かります。二人の間に生まれたのが息長帯比売命(「息長氏系譜」の記事参照)
◎平群広枝については資料が無く不明。大和国平群郡を拠点とした平群氏の一人かと思われます。雄略朝辺りには没落した葛城氏に代わり隆盛を極めた氏族。わずかな期間でこちらも没落、奈良時代には広成の名が見られる程度。広枝はこの広成に近い系譜かと想像されます。武内宿禰の御子である木菟宿禰(ツクノスクネ)を祖としており、葛城氏とは親戚の関係。
◎「神高槻神社紀」においては、高額比売命が当社「本源」のご祭神であるとの記述。この二つの伝承を見る限り、まったく異なる伝承であり、別々の神社だったのが合体したようにも思えます。
◎式内社 神高槻神社については森本神社も論社として挙げられています。
◎平安時代の儒学者であり歌人でもある大江匡房が当地を訪れ、月の名所であることから「近江なる 高月川の 底清し のどけき御代の 影ぞ映れり」など二首の歌を詠んでいます。以来「高槻」が「高月」になったと伝わります。