與志漏神社
(よしろうじんじゃ)


近江国伊香郡
滋賀県長浜市木之本町古橋1102
(境内併設の「己高閣」「世代閣」が2021年3月現在はコロナ禍のため閉鎖中、同時に当社駐車場も閉鎖)

■延喜式神名帳
與志漏神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
須佐之男命
波多八代宿禰


長浜市を南北に縦断する「高時川」の上流、「古橋」集落の外れに鎮座する社。霊峰「己高山(こだかみやま)」の南西麓の丘陵地に社殿が設けられています。
◎創建は社伝によると、「景行天皇即位二十五年に武内宿禰が北陸及東方諸国巡視の命を受け此の地を訪れます(当時は北陸に向かうには「高時川」を遡る道しかなかった)。ところが肥沃で水利が良いにもかかわらず人がほとんどいないことを不思議に思っていると、老翁が現れ、東方の「己高山」に棲む大蛇のせいで人々が逃げ出していると答えます。二年後宿禰は越の国から帰って来て、御子の波多八代宿禰に大蛇退治を命じます。退治に手こずったため、昔須佐之男命が八俣大蛇を退治したという故事にあやかり、大神の神霊を宿した剣で退治した」(由緒書より要約)とあります。
◎これは紀に見える、「廿五年秋七月庚辰朔壬午、武内宿禰を北陸及び東国の国の様子や百姓の様子を視察に遣わした」(大意)とあるのに合致するもの。
おそらくは波多八代宿禰による当地開拓が、後世の附会により須佐之男命の八俣大蛇退治が被せられたのであろうと思います。
◎後日譚として大蛇退治を終え去ろうとする八代宿禰を村人たちが引き留めたため、宮殿を建てて住んでいたが、それが当社の元になっているとのこと。薨去後に威徳を偲び、須佐之男命に八代宿禰を合祀したとされています。
なお社名「與志漏(よしろ)」は「八代」が転訛ということらしく、「世代大権現」などと称されていた時期もあるとか。境内奥地には現状日本最古とされる製鉄跡もあるようです(未確認)
◎「己高山」は行基などという僧侶が開山したと伝わる山。標高は923m。山頂には鶏足寺という仏教施設が建てられてしまい、大いに賑わっていたとか。平安から鎌倉にかけては山岳信仰の霊場とされており、古代の祭祀跡など多くのものが破壊されたものと思われます。
辛うじて古橋古墳(現地未確認)や「牛止めの岩」(露出岩盤、現地未確認)などが残されているようです。中腹には式内比定社である伊波太岐神社が鎮座しています。
◎当社はその守護神と成り下がっていたものの式内社に列格。その神威は衰えていなかったようです。








向かって右奥が「己高山」であろうと思います。中腹に伊波太岐神社が鎮座します。