☆ 朝臣柿本人麿公屋敷跡



大和国城上郡
奈良県桜井市巻野内235
(「JAならけん巻向支店」敷地内)
(P無し、纏向石塚古墳前の大駐車場に停めて10分足らず歩きました)



このような重要な史跡が、
ほとんど知られず点在するのが、大和の良いところなのか…悪いところなのか…

持統朝を中心に、天武朝辺りから仕えた宮廷歌人。これほど謎に満ちた人物もそうそういません。
持統天皇の愛人だったというものや、百済からの亡命者であったという奇説までも。

故梅原猛氏の「水底の歌」を初めて目にしたのは、おおよそ20年近く前のこと。それを契機に柿本人麿公についていろんな書を読み漁ったものですが…。

万葉浪漫に溢れた美しい表現は表向きのもの。
必ずといってもいいほど、裏の意味が存在するということを知りました。

そこには泥まみれの人間模様が存在するわけなのですが…。

古代史の深いところへどんどんと嵌まっていった当時のことを懐かしみながら、訪れてみました。

人麿の歌に「穴師川」をあまりに臨場感たっぷりに歌ったものが存在します。
お気に入りの場所だったのか、或いは本当の屋敷跡はそちらなのか。当地より数km東方。


せっかくなので一首。

「穴師川 川波立ちぬ 巻向の 弓月が岳に 雲居立てるらし」

非常にザワつく歌です。
川波が立ち、雲居が立ち、これから何か大変なことが起こるゾと暗示している歌。

天変地異の光景が真に迫る…などと呑気なことを歌っているのではありません。

皇族もしくは要職の人物の暗殺や排除などを、暗示した歌かと思います。


「JAならけん巻向支店」敷地の一角。