◆ 「二上山」慕情
【 ~2 「二上山」の誕生】
前回の記事では「序」ということで
やんわりと概要の…そのまた概要をソフトに記しただけに留めました。
目的は「二上山」がいかに重要な山であったのかをご理解頂くこと。
ちっぽけな山ですが
大和の重要な山であったというだけでなく、日本の重要な山であったということを追々と記していくつもりです。
そして今回よりちょっぴりハードな記事に。
もちろん古代ロマンを随所に挟みながら…。
まずは「二上山の誕生」などという大それた時代より。頭の中にストックされている知識はほぼゼロ!勉強しながら綴っていきます。
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◎噴火活動
かつて「二上山」は火山でした。
およそ2000万年前から噴火活動が始まり、1000万年前に活動を終えたとされています(「二上山博物館」より)。
「瀬戸内火山岩類」に属しています。
伊豫国の「石鎚山」地域、讃岐国の「屋島」地域、「小豆島」地域、大和国の「二上山」地域や「室生」地域、三河国の「設楽」地域など。いわゆる「中央構造線」に沿った北側。
この地域で「サヌカイト」という特殊な「安山岩」が見られるのです(「室生」地域など採れない地域有り)。特に「サヌカイト」の名前由来となった讃岐国「屋島」地域や、「二上」地域が知られます。
少し話は逸れますが二上山博物館では、「二上山」で採れる「三つの石」というのをテーマに掲げられています。「サヌカイト」「凝灰岩」「金剛砂」の三つ。
話を戻して…噴火活動の時代をもう少し絞ると、1600万年前~1000万年前の「中新世中期」であると。
この時に現在のような美しい二山になったのではなく、その後の地殻変動や噴火堆積物の浸食風化などによって形成されたようです。
◎地層と岩石
「二上山」周辺の地層については、地殻の基盤岩である「花崗岩(かこうがん)」の上に、「二上層群」、さらにその上に「古大阪層群」が見られるようです。この二つの地層群はいずれも火山噴火により堆積したもの。
まずは「二上層群」。
こちらには「ドンズルボー類層」「原川類層」「玉手山類層」の三つの層が見られます。
「ドンズルボー類層」はさらに下部・中部・上部の三層に分類。
*下部は「流紋岩質」の「溶結凝灰岩」で、「二上山」南麓から太子町春日(西側)にかけて分布。「溶結凝灰岩」とは火砕流堆積物で火山灰などが固まったもの。
*中部は「安山岩」の爆発的活動に伴い、火山礫や火山灰が堆積したもの。ここに「三つの石」のうちの「金剛砂」が含まれています。
*上部は再び起こった大規模火砕流で、「流紋岩質」の「軽石流」の層が生成。下部に写真を載せた「屯鶴峯(どんづるぼう)」がその代表的なもの(後ほど別途記事を上げます)。「三つの石」のうちの「凝灰岩」です。
「ドンズルボー類層」の上には「原川類層」。泥岩を中心とするもので、多くの植物化石が含まれているとのこと。この時期は特に激しかったようで「雄岳火山岩」「春日山火山岩」「明神山火山岩」など噴火が続出。このうち「春日山火山岩」は特殊な「安山岩」であり、黒くて固い岩石。これが「サヌカイト」。「二上山」の北から西側にかけて分布。
「原川類層」の上には「玉手山類層」。これが二上地域で最後の火山活動であったようです。これがおよそ1000万年前のこと。こちらは「二上山」西側。
最後に「古大阪層群」。これは河や湖に溜まったもので「河湖層(かこそう)」と呼ばれています。もちろん火山活動が終わってからのこと。
以降、氷河期を経て世界は前期旧石器時代へ。いよいよ人類の誕生です。
タンザニアで人の足跡が発見されているのが、今のところ人類の最古のもののようで、400万年ほども前のことであるとか(700万年前などというものも)。
日本では3万8千年前から一斉に大陸から渡って来たなどとも言われています。これは後期旧石器時代。
今のところ最古は伊豆の「神津島」。大陸から太平洋の離島へといきなり向かうとは考えずらく、日本海側のどこかでもっと古い遺跡がいずれ発見されることと思います。既に発見されているものの、年代確定ができていないのかもしれませんが。
「二上山」周辺においては2万以上年前から。発見されたのは「サヌカイト」による石器作りの跡。一気に30ヶ所も発見されています。
「こんなええ石に何でもっと早く気付かんかったんや!」そんな声が聞こえてきそう。
いとも簡単にナイフや包丁、鏃(やじり)なんかが作られてしまうのです。子供にでも。大きな石で叩いて割れば出来上がり。もちろん子供が作るにはいろいろと問題はあるのですが。
次回は「サヌカイト」に焦点宛てます。