御薗神社 (松阪市佐久米町西社)


伊勢国飯野郡
三重県松阪市佐久米町西社
(P無し、下部写真のように社前道路に寄せて停め置きました)

■祭神
須佐男命
多紀理毘売命 市寸島比売命 田寸津比売命


「櫛田川」の西岸、河口付近の田に囲まれた古い集落内に鎮座する社。
◎創建由緒等に関しては社頭案内板以外に頼るものが無く、三重県神社庁にも属していません。その案内は以下の通り。「当神社の起こりは、大宝(701年)以前とも伝えられ、西ノ神社と称していた。永享二年(1430年)には東に八王子祠が存在した。江戸時代には牛頭天王社(字西社)・八王子社(字村中)と呼ばれ、その二つを明治二年(1869年)に八雲神社と八柱神社に改名した。それらを明治三十六年(1903年)合祀し、伊勢神宮の御薗であった謂われから氏子全員の協議で『御薗神社』と命名した」と。
◎牛頭天王の信仰は平安時代に起こったものとされるので、当社の創建当時は牛頭天王を祀る社ではなかったと思われます。また神宮の御薗がいつ頃に定められたのかは不確かなものの、社頭案内が言うように当社創建を大宝(701年)以前とするなら、まだその当時には御薗は定められていなかったように思います。
原初のご祭神は不明と言わざるを得ないかと。合祀した八王子社と同様に、伊勢国に多く見られる天照大神との誓約(うけひ)により生まれた八王子神だったのでしょうか。
◎神宮の「御薗」についてあらゆる資料から当地を見出すのは困難かと。飯野郡のものを列記すると、「太神宮諸雑事記」の「鍬方御麻生園」、「平安遺文」の「土田園」と「平田園」、「鎌倉遺文」の「木越園」。このうち「鍬方御麻生園」は「御麻生薗村」のことと思われ、当地からは離れているので除外できそうです。残る3箇所はいずれも明確に当地名と結び付けられそうにもなく、手元の資料ではこれらのいずれかというところまで。