(等彌神社の境内)




保田與重郎
(やすだよじゅうろう)



明治四十三年(1910年)
奈良県桜井市に生まれる。

「日本浪漫派」創刊同人として活躍、
浪漫派の中心人物として太平洋戦争終了まで時代を代表する評論家となる。

近代文明批判と日本古典主義を展開、
明治維新以後の国家神道に疑問を呈し上古の神道と異なるのではと評した。

本居宣長が「直毘霊」以来の「神ながらの道」に
純粋に徹したと言われる。


以上Wikiより。



私は保田與重郎を知りません。

桜井市で生まれた…
浪漫(感性)溢れる明治の偉大な文人なのだろう…
古神道を良しとしていたらしい…

そのような程度。



ところが桜井市を訪れると

足しげく参拝を重ねる等彌神社の下ツ尾社の横に、氏の筆跡の歌の石碑があり(冒頭写真)、上ツ尾社隣に神武天皇「大孝」の石碑、「鳥見山」の「霊畤(まつりのにわ)」の石碑など。

何度か参拝している黒崎の白山神社の境内に、
氏の筆跡による「萬葉集發燿讚仰碑」なるものがあり(下部写真)、



そしてまた
新しい氏の筆跡による碑を見つけてしまった。
(史跡 「土舞台」)


(等彌神社 上ツ尾社の隣に据えられた神武天皇「大孝」のモニュメント)

(「鳥見山」の「霊畤」石碑)

(黒崎の白山神社の境内)

(史跡 「土舞台」)




筆跡はその人の性格や思いを表すなどとも言われますが…

一度目にすると
決して忘れられない筆跡。

惹き付けられるものがあるようです。




生家跡もあるとのこと。

Googlemapには載っていないが
場所は分かった!



ん?

ここは…



私の生家の近くかも…。

もう既に正確な場所も分からなくなってるが…



近々探索してみようかな…

保田與重郎の著書も頑張って手にしてみようかな…とも。



あれにもこれにも
手を付けてばかりですが。