☆ 傳藤原宮海犬飼門趾
(あめのいぬかいもんあと)



大和国高市郡
奈良県橿原市醍醐町
(「醍醐町203」の西隣)
(P無し、藤原京の駐車場から徒歩10分足らず)
(東側の隣の隣に春日神社が鎮座)



「藤原宮」にあったとされる宮城門の一つと推定される史跡。

「藤原京」は飛鳥時代の都城。
日本初の唐風の本格的都城であり、第41代持統から文武・元明と三代の天皇に渡り首都であったところ。

その「藤原京」の中にあった宮殿が「藤原宮」。

一辺およそ1kmあったという「藤原宮」。
外周は5mほどの高さの塀で囲われていたとされ、四面それぞれに3ヶ所の門があり計12ヶ所あったとか。

当史跡はその一。

案内板を写した下部写真に掲載される概要以外は資料が見当たらず不明。


「海犬養」と「門」というキーワードから連想されるのは海犬養氏(アマノイヌカイノウジ)。

海犬養氏は全部で6氏族あったという犬養部のうちの一氏族。

部民を率いて朝廷に専門職として従事した伴造(とものみやつこ)の一。

字の如く、犬を養い育てて屯倉(みやけ、直轄地のこと)や宮門の守護に当たっていたとされます。

番犬を使っていたということかと。


海犬養氏が関わったとする資料が見当たらないのが不思議。案内板にも一切触れていません。

海犬養氏に関わる史跡と考えて間違いないように思うのですが。


「乙巳の変」(「大化の改新」のきっかけとなった事件)において、海犬養勝麻呂が蘇我入鹿暗殺に加担したことで知られます。