飯道神社 里宮 (湖南市)
(いいみちじんじゃ)


近江国甲賀郡
滋賀県湖南市針1009
(南50m余りに公園があり当社参拝用と兼ねていると思われます)

■延喜式神名帳
飯道神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
素盞鳴尊
[配祀] 菅原道真


近江国南東端、「野洲川」を遡り南岸を山手へ向かって上った「針」に鎮座する社。麓すぐには「野洲川」沿いに東海道があり、かつては大いに賑わった地。
◎創建は大同二年(807年)と伝わります。由緒は不明。かつての旧社地は北北東200mほどの、現在の「湖南市役所東庁舎」の敷地内とのこと。遷座は明治六年、「家棟川」の改修工事によるようです。
◎南南東5kmほどの「飯道山(はんどうさん、標高664m)」の山腹に同名社が鎮座します(未参拝)。現在の行政区では信楽町。
そちらは当社の奥宮とする説も。またそちらこそが式内社 飯道神社であるとし、当社はその里宮であるとする説も。「飯道山」は磐座等の宝庫であり、上古からの霊地であったと思われます。さらに北方中腹にも「八丈岩」などもあり、これらを含めた壮大なスケールの磐座群であったのではないかと。
◎信楽町の飯道神社の創建は和銅四年(711年)とされます。当社よりおよそ100年ほど遡ります。創建由緒は不明。役行者により開基されたとする書が多いものの、確証は無し。
また僧安皎という者が「金勝山」より「飯道山」へ来て庵を結んだとされています。その庵を結ぶ際に飯道大明神を岩洞に供養したなどというものも。これが当社に関わるとのこと。境内とその周りには岩洞らしきものは見当たりませんが。いずれにしても神仏習合、修験道に支配される憂き目に会ってしまった歴史を持ちます。
◎里宮・奥宮とするには少々距離が離れ過ぎていることが気になります。そしてあまりに仏教色の強い社は、式内社となり得ないという事例も多く見られます。里宮・奥宮として一対に捉えることが多勢ですが、まったく別の社だったものが仏教勢力によりあたかも一対のようにされてしまったという可能性も考えています。もしそうであるのなら、必然的に当社こそが式内社となります。今となっては調べようもないのですが。
◎ご祭神の素盞鳴尊については、牛頭天王社であった時代もあることから。原初からのご祭神であったのかどうか不明。信楽町の飯道神社の方は熊野からの勧請としていますが。
◎社名の「飯道」については、「此神飯を持ち道を踏みわけ給ふにより飯道大明神と号く」とされています。後世の附会なのでしょうが、原始の様子を探るのは困難なように思います。通称は「はんどう」。これは仏教からのもので、神名帳においては「いいみち」。


「家棟川」沿いに幅広い土手が築かれ、公園として整備されているようです。もちろんその中心は当社。奥に小さく見える赤い車が私の車。5~6台ほどの駐車場が確保されています。



明治に遷座されたとはいえ、程よい具合に寂れてきています。