男乃宇刀神社
(おのうとじんじゃ)


和泉国和泉郡
大阪府和泉市仏並町1740
(P有)

■延喜式神名帳
男乃宇刀神社 ニ座 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
彦五瀬命
神日本磐余彦尊
五十瓊敷入彦命


和泉市南部の丘陵地に鎮座する社。彦五瀬命
と神日本磐余彦尊の兄弟神を祀り、神武東征においてのゆかりのある社でも。
◎社名の「男乃」は「兄」のこと、「宇刀」は「弟」のこと。長髄彦神との戦いで負傷した彦五瀬命率いる皇軍(本来は神日本磐余彦尊ではなく、祭祀を担っていた彦五瀬命が長であったと思われる)を、在地豪族の横山彦命が出迎え仮行宮を設けた場所と伝わっています。
◎神名帳記載の式内式 男乃宇刀神社のニ座のうち、一座が当社のこと。かつて「上の宮」(当社)と「下の宮」に分かれていたものの、紆余曲折あり「下の宮」が当社に合祀されたようです。
「上の宮」のご祭神は彦五瀬命、「下の宮」のご祭神は神日本磐余彦尊。「下の宮」は「和泉市総合スポーツセンター」(旧 横山高校、現在は閉校)にあったとされます。
◎創建は元慶年間(877~885年)。「神社明細帳」には行宮を営んだ場所を「御狩山」と称しており、御輿渡御がなされる地と。詳細は不明ながらもそう遠くはない地であろうと思います。
◎一方「下の宮」は「文禄年間(1593~1596年)に神跡山脈の中央に道路を開拓せしにより 字切坂と称する所に横山鎮護の神として遷し奉り 其後に牛頭天王を奉斎して八阪神社と称し奉りしが 明治四十五年五月遷幸しし奉りて八阪神社に合祀す」と「神社明細帳」にあります。
つまり「下の宮」は山中に鎮座していたものが、道路開拓で新しく創建された八阪神社に合祀されたようです。
◎さらに戦後昭和二十一年に「下の宮」が、「上の宮」(当社)に合祀されています。
◎他方、五十瓊敷入彦命については、当地を領有したことにより、元慶年間の創建時に併せて祀られたと伝わっています。