☆ 太安萬侶墓


大和国添上郡
奈良市此瀬町451
(麓に駐車スペースらしきもの有り)



「太安万侶の墓が発見された!」と、
当時は衝撃的なニュースが流れたことを、ついこの前のように記憶しています。

しかも銅版製「墓誌」まで発見され、太安万侶墓であることが確定。

つまり同時に発見されている遺骨なども、太安万侶のものであることも確定。

これほどはっきりとしたものも珍しく、まさに世紀の大発見でした。

12~3年ぶりに拝しました。
このような山村地では当時と何ら変わりなく。

美しい茶畑のイメージが無いので、その時は茶摘み後にでも訪れたのでしょうか。

奈良市郊外の山村地帯、わずか14世帯、人口36人(平成27年度国勢調査データより)の「奈良市此瀬町」。写真通りに典型的な過疎地にあります。

太安万侶が没した奈良時代も、同様に都の東部郊外と考えられていたことと思います。

光仁天皇や志貴皇子(春日宮天皇として追尊)の御陵も築かれています。

この墓が発見されるまでは、多氏が拠点としていた大和国城下郡(現在の磯城郡田原本町辺り)にあるのではないかと考えられていましたが。

現在はこのブログ内において「古事記」の翻訳作業を行っていることもあり、感慨深げに拝することになりました。


車はこちらに。10mほど先には左に登拝口、右にトイレがあります。

やや急な坂道を5分足らずほど登ります。


登拝道は茶畑管理者から用地が寄付されたのでしょうか。




こちらが銅版製「墓誌」の写真。


拡大した上部。

拡大した下部。

特にどこどこに向けて築いたということも無さそうに思います。