☆應神天皇皇子大山守命 那羅山墓


大和国添上郡
奈良市法蓮町(詳細住所不明)
(P無し、近隣に停め置きできる場所も無し)



昨年末頃より、当ブログで度々記事に上る大山守命。

どの記事で上げたのか一つも覚えていないのですが…。年間2000社ほども参拝していると、こういうことになるのです…。

奈良県外でも複数社に登場したように思います。

またそれを探し出すのも大変な作業となるので、またその神社等を再拝した際に思い出したい…としておきます。


応神天皇皇子で母は仲姫命。

記紀には異母弟の大鷦鷯命、菟道稚郎子(ウヂノ
ワキイラツコ)との皇位継承争いが記されます。

結局大鷦鷯命が即位し仁徳天皇となるわけですが、大山守命は各地の山海の統治を任されていました。また皇太子となったのは菟道稚郎子であり、自害(天妖)し大鷦鷯命に皇位を譲る美談が記されます。

大山守命は皇太子になれなかったことを恨み、菟道稚郎子を殺害しようと挙兵。ところが事前に発覚、菟道川(現在の宇治川)にて水死させられます。

そもそも菟道稚郎子は即位していたのではないか?
大山守命は咎無くして大鷦鷯命との政権闘争に破れたのではないか?

諸説飛び交っています。
分からないところが古代史の面白さでもあるのですが。

三者による政権闘争、或いはもっと多い複数の者による皇位簒奪作戦が繰り広げられ、勝ち残ったのが大鷦鷯命、つまり仁徳天皇ではないかと考えられています。

なお古墳は円墳のようです。

規模に関する資料は見当たらず分かりません。この時代ですし、巨大であるようにも思いますが、「賊」という扱いなので案外小さめなのかもしれません。

遠目には巨大な雰囲気ですが。