南都鏡神社


大和国添上郡
奈良市高畑町486
(駐車場は下部写真参照)

■旧社格
村社

■祭神
天照皇大神
藤原広嗣
地主神


志賀直哉旧邸などで知られる「高畑町」内に鎮座する社。
◎当社の起こりは、左遷されていた大宰府で反乱を起こした藤原広嗣が、肥前国松浦郡で処刑。怨霊神となったためにその地で祀られていた鏡神社(未参拝)から、「頭塔」近くの福智院に勧請されたたというもの。後にかつての広嗣の邸宅跡とされる当地へ遷されています。
◎天然痘の流行により藤原四子が相次いで病死、代わりに台頭したのが橘諸兄。吉備真備や僧玄昉を側近に付け、広嗣は大宰府へ左遷されます。広嗣は疫病流行や政治の乱れを、諸兄らが原因であると聖武天皇に上表、そして同時に挙兵。天平十二年(740年)のこと。結局反乱軍は敗北し、鏡神社の地で処刑されました。その社は、もともと神功皇后ゆかりの地。広嗣処刑後に二ノ宮として祀られています。
◎乱後、広嗣は怨霊神とされ都は恐怖に陥ります。当時藤原四子が病死したのは、長屋王の祟りと恐れられていた時代。
当初福智院に勧請されたというのは、諸兄の側近であった玄昉が筑紫で急死、遺体は飛散し興福寺へ、首は頭塔、腕は肝塚町、眉と目は大豆山町へ飛来したとされました。もちろん付会でしょうが、これは広嗣の祟りであると考えられたようです。
◎現社地に遷座されたのは、平安後期に新薬師寺が再興される際に鎮守社となったことによるもの。かつて広嗣の屋敷が側にあったため、その跡地に創建されています。
◎なおご本殿のすぐ西横、新薬師寺境内の隅に火雷天神社の小祠が鎮座しており、怨霊神である菅原道真が祀られています(未参拝)。


駐車場はこちら。上手く停めれば縦列に2台は可、後ろも1台停められます。他に来なさそうだったので適当に停めましたが。