久流比神社


但馬国城崎郡
兵庫県豊岡市城崎町来日字口587-2
(P無し、来日川沿いの道より集落に入ったすぐの三角コーナーのところに停め足早参拝しました、そこから先は狭小道路で転回もほぼ不可)

■延喜式神名帳
久流比神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
闇御津羽神


豊岡市街地より北に外れた、古い農村集落内の社。「来日岳」の南麓から100段余りの石段を登った先に鎮座します。
創建由緒等については不明。かつては「来日岳」の山頂に鎮座していたが、いつの頃か麓の「宮代谷」に遷座。江戸初期に裏山が崩壊し現社地に再遷座されたようです。
「来日岳」(標高556.7m)は「くるひだけ」、「くりひだけ」など地区地区により呼び方は異なるようですが、元々は当社名からの「くるひだけ」であったのだろうと思います。山頂から見る雲母が有名であるらしく、古代からの霊峰であったかと想像されます。現在山頂には石仏が置かれているらしく、名残が見られるようです。「久流比」が「来日」と化し大日如来が宛てられたのかもしれません。
創建についてははっきりとしたことは分かっていないようですが、伝承によれば「狂った土蜘蛛が来る日の岳にこもり、来日足尼命がこの土蜘蛛を征伐した」と。おそらくこれが創建に関わる由緒であろうと思われます。
ご祭神に表される闇御津羽神は原初の神、あるいは祭神替えが行われて以降の神かと思われます。記にはカグツチ神がイザナギ神に斬り殺された際に、闇淤加美神とともに生まれた神。神名から水神としての神格を持ち合わせているかと。また「ミヅハ」は「水早」であり、水源近くの流れの様子を表したものとも。山頂に祀られていたことから合致するものかと思います。


軽でも困難かもしれません。

ブルーシートが痛々しく…。


石段途中の境内社。宮代大明神とは、「宮代谷」に遷座されたときの神。