☆應神天皇陵 誉田御廟山古墳 (惠我藻伏崗陵)


河内国志紀郡
大阪府羽曳野市誉田
(P有)


全長425mの前方後円墳、全国第二位の規模。
周辺から出土している埴輪から5世紀初頭築造とされています。
規模や隣接する誉田八幡宮の由緒などから応神天皇(誉田別命)の墳墓とみて間違いないように思います。

周濠は二重(一部は三重)に巡らされ、堤でさえも幅48m、35m、15mととてつもない規模。

古市古墳群の中核を成し、百舌鳥古墳群と合わせて世界遺産となりました。

かつては後円部の頂に六角形の御堂(仏教施設かと思います)というものが設けられ、石段もあったことが「河内名所図絵」
また麓に隣接して誉田八幡宮が創建されました(後に少し南の現社地に遷座)。

秋の大祭では、御輿が放生橋を越えて後円部の頂まで渡御するのが古来からの慣わしであるとされます。

御陵であるためほとんど調査はなされていませんが、欽明天皇の頃より祭祀が始まっており、おそらくほとんどが未盗掘のままであろうかと。

陪塚は五基が指定。どれくらいの数が既に破壊されたのかは不明。残存するのはごく一握りかと。
武具や馬具などが多く出土しているようです。

世界遺産に登録されてから見学者が急増、雨の平日を選んで見学したため、貸切状態でした。日を選ばないと大変な目に合いそうです。
でもその一時間後にバスツアーの団体100人が八幡宮参拝&御陵見学の予定でした。






拝所は前方部にあります。

「河内名所図絵」

「放生橋」を越える御輿。