☆能褒野王塚古墳


伊勢国鈴鹿郡
三重県亀山市田村町1409
(P有、能褒野公園として整備されており場所は下部写真参照)


日本武尊の治定墓。
尊は東国平定後に素手で伊吹山の悪神を退治に向かいますが、負傷し遂に「能褒野」で最期を迎えました。
全長90mの前方後円墳、伊勢国北部では最大級のもの。出土遺物としては93.5cmの鰭付円筒埴輪が注目点であるとか。石室は「竪穴式である可能性が高い」とのこと。4世紀末(古墳時代中期初頭)築造とされています。陵墓であるため詳しい調査はなされていません。周辺には10数基の古墳が確認され、6~7世紀初頭であるとされ、一族の墳墓が周囲に築かれたと考えられます。
他にも候補地は多数。加佐登神社隣接の白鳥塚古墳、長瀬神社境内の墳墓が有名。江戸時代は長瀬神社境内の墳墓が尊のものだと認識されていたのが、明治に当古墳が治定。ところが近年、それまで円墳と思われていた白鳥塚古墳が前方後円墳であると判明、俄然注目度が高まっています。

※2017年5月撮影のものです。












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