天村雲神社 (吉野川市山川町村雲)


阿波国麻殖郡
徳島県吉野川市山川町村雲133
(P無し、参道に停めました)

■延喜式神名帳
天村雲神伊自波夜比賣神社の論社

■祭神
天村雲命
伊自波夜比賣命


阿波忌部氏が大麻を植えていた「麻殖(麻植)郡」に鎮座する天村雲命を祀る社。
◎南西には「剣山」、南東には上一宮大粟神社、西にはその麻を晒したとされる「岩戸の甌穴」などと広範囲に及ぶ聖地であり、いずれも阿波忌部氏が関わっていたかと思われます。
◎天村雲命は「勘注系図」によると、彦火明命の御子である天香語山命が穂屋姫命(ホヤヒメノミコト)を娶って生まれたとしています。そして亦の名を天五十楯天香語山命であると。当然のことながら五十猛神と同神とする説が出るのも必至で、多くの議論がなされています。
また神名から「天叢雲剣(後の「草薙剣」)」との関連が考えられるのも必至。五十猛神がスサノオ神の御子であれば、「天叢雲剣」がスサノオ神が大蛇退治により現れた神剣であり、いずれもスサノオ神がちらつきます。
◎天村雲命を祀る神社といえば陸奥国磐城に偏っていますが、なぜ遠く離れた阿波国にも祀られているのか、しかも式内社(論社)で。実は四国でも祀られている神社はいくつか見られるようで、手元の資料では阿波国だけで二社(うち一社は当社)。あとの一社は忌部神社(山崎)の摂社。つまり阿波忌部氏の中心地内に少なくとも二社あり、彼らが奉斎していたと考えられます。
◎これに関して興味深い説があり、それは阿波忌部族が「天叢雲剣」を製造し皇室に献上していたのではないかというもの。「須賀」や「湯立(射楯からの転訛か)」という地名も。
◎「天叢雲剣」を製造したというのは俄には信じがたいものの、そもそも大蛇の尾から出てきたなどというのはもちろん神話であり、どこかの誰かが作ったはず。忌部氏は製鉄鍛冶とは縁遠いイメージのある祭祀氏族ですが、この時代に大挙して阿波国へ移住した際には、武器にしろ農具にしろ製鉄鍛冶が必要であり、どこかから供給を受けるか自力で製造していただろうと。そう考えると、製鉄鍛冶の技術者を従えていた可能性は十分にあり得るかと。その技術者というのが、天村雲命の後裔であったのではないかと考えます。
◎伊自波夜比賣命については不明。天村雲命を雨乞いの神とし、伊自波夜比賣命を出水神として奉斎したのではないかという説も。建御名方神の御子神に出速雄命がおり、その娘に伊都速比売命というのがみえます。天村雲命の妃であり、この神のことではないかと思います。

*写真は2018年1月撮影のものです。