高倉神社 (伊賀市西高倉)


伊賀国阿拝郡
三重県伊賀市西高倉1046
(P有、アクセスは下部写真参照)

■旧社格
県社

■祭神
高倉下命
[配祀] 倭得玉彦命


伊賀市の北西端、市街地からは外れた丘陵地に鎮座する社。
◎北の霊峰「天吹山」の南側麓の丘陵地に当たるかと思われます。「天吹山」という呼称は現在は無く、「多羅尾」と称される近江国甲賀郡一帯のことかと。現在はゴルフ場が開発され、また修験道の輩が石仏を彫ったりなど、かつては存在したと思われる磐座等は、壊滅状態に。
鎮座地はその「天吹山」を源流とする「宮谷川」の西岸。なお西側山中には元伊勢「甲賀日雲宮」の候補地の一、高宮神社が鎮座しています(後ほど記事UPします)。

◎社伝によると、高倉下命より七代目の子 倭得玉彦命(ヤマトエタマヒコノミコト)が伊賀国に一族とともに移住してきたとされます。その倭得玉彦命が祖神である天香語山命を祀ったとするのが当社創建由緒。垂仁天皇の御宇とし、貞観三年(861年)に従五位下の神階を授かる国史顕在社であるとしています。
◎そして高倉下命は当初熊野にいたとし、越後国で最期を迎えたと。そして七代目になり当地へ移ったというもの。そのために熊野の一族も定住したとしています。
◎「勘注系図」には日本得魂彦として表され、当社見解と同様に火明命八世孫(天香語山命七世孫、高倉下命と天香語山命を同神として)。
「先代旧事本紀」によると、大伊賀彦の娘の大伊賀姫を妻としています。この辺りは当社社伝と符号するもの。
倭得玉彦命の娘である日女命は卑弥呼説も。また高倉下命に関しては、熊野や越後(旧高志国)に伝承が多いのは事実。
◎問題は高倉下命が天香語山命と同神なのかどうか。当記事ではこれ以上は触れないものの、別神であるとするならご祭神は異なることになります。
◎ご本殿の右殿(向かって左殿)の春日社には、大彦命の御子である紐結命(ヒモユヒノミコト)が祀られています。貴重な一例かと。
◎ご本殿と脇二殿は彫刻や彩色が秀麗、桃山時代の特徴をよく表したもの。国指定重要文化財に。一の鳥居脇の御神木は「高倉五名木」の一であるとか。また境内のシブナシガヤの樹は国の天然記念物に。
社名から全国の倉庫業者からの崇敬が篤く、境内に著名会社からの奉納などが多くあります。

※写真は2016年1月と2021年10月撮影のものとが混在しています。


一の鳥居と御神木。この付近に勧請縄も掛けられるそうです。この脇を進んでも当社Pへ向かえますがやや狭小道。

伊賀トリコロールロードを北上し県道138号へ。すぐ側の「宮谷川」を渡り、川沿いの道を300mほど北上するとこちらに。大きな駐車場が設けられています。


県社に列格するだけあって由緒は元より、境内も素晴らしいものです。

拝殿の傷みが少々気になりますが…。



とにかく美しい社殿です。







祭用に準備されているのでしょうか(参拝日は10/1)。

以下2体の石碑は判読不可、資料も見当たりません。