☆荒神谷遺跡


出雲国意宇郡
島根県出雲市斐川町神庭873-8
(「古代出雲歴史博物館」が併設、駐車可)


358本もの銅剣、さらに6体の銅鐸と16本もの銅矛が立て続けに出土した荒神谷遺跡。

出雲・石見方面はこれまで4回訪れていますが、古代史を偉そうに語っている以上は一度は寄っておかないと…と、訪れています。

熊野大社と物部神社はかつて、崇敬会の会員でした。そんな時期もあったな…。

遺跡の詳細は出雲観光ガイドさんのHPが大変詳しく、かつ丁寧な説明をなされているのでそちらを。

博物館では、発掘に携わった研究員さんたちの衝撃と感動を交えながらの映像を見ました。

そりゃもう衝撃だったでしょう。
そりゃもう感動だったでしょう。
まさしく世紀の大発見、後にも先にもこれほどの遺跡はないでしょうし。

映像を見ただけの私ですら感動は抑えられないものでした。
ま…訪れる前からゾクゾク、ワクワク、ドキドキが止まらなかったですし。

「出雲国風土記」に記される「大神の御財(みたから)を積み置き給ひし処なり」が、まさにこの遺跡であろうと。

また平成に入ってからはわずか3km余り離れた加茂岩倉遺跡で、39体もの銅鐸が出土していますが。

どのような理由で埋められたのか解明しようもなく、ただただ妄想の世界。

銅剣の本数「358本」については、すでに解明されたのではないかと考えています。

銅剣は34、111、120、93本の四列に配置されていました。
これが「出雲国風土記」に記される神社数とかなり数が近いのです。

◎神門郡 37社→34本
◎出雲郡 122社→111本
◎大原郡・飯石郡・仁多郡・意宇郡 計127社→120本
◎楯縫郡・秋鹿郡・島根郡 計113社→93本

埋納時期と風土記編纂時期は400年程度の開きがあり、神社数の増減があったのであろうと。

この説を出されたのはおそらく森浩一氏で、
神社数の増減であったかどうかは忘れましたが、導き出した埋納当時の神社数が一社の狂いもなく銅剣本数とピッタリ同じ数になっていました。

この著書が探せど出て来なくて…いずれ見つかり次第、この記事を上書きします。

この荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の周囲に、
建御名方神を祀る神社が6社有り、遺跡を取り囲むように鎮座しているという研究もあるようです。

分からないようで分かり始めた古代、
分かったようで実はまったく分かっていない古代。

考古学者になることを夢見ていた頃の
童心に返ったようなトキメキを思い出した遺跡でした。


※写真は2012年8月撮影のものです。