居多神社
(こたじんじゃ)


越後国頸城郡
新潟県上越市五智6-1-11
(駐車場は覚えていませんが、困らなかったと思います)

■延喜式神名帳
居多神社の比定社

■社格等
[旧社格] 県社
越後国一宮

■祭神
大国主命

建御名方命
事代主命


越後国の国府があったとされる上越市の社、越後国一宮。
◎出雲国の大国主命が「翡翠(ヒスイ)」の女王、奴奈河姫命を求めてはるばると高志国までやって来ました。そして結ばれますが、記と万葉集には二首の麗しい恋愛歌が載せられています。もちろんこれは高志国が出雲国に征服された歴史ですが。
◎「翡翠」の価値観は古代においてはかなりのものであったようで、秦の始皇帝の遺体は翡翠の装飾品で覆われて眠っていたとも。霊力を伴うと考えていたことも含めてでしょうが、当時は最高の宝石であったと思われます。中国では厳密には「翡翠」とみなされない軟玉しか産出しないようですが。また現在でもそうですが、東南アジア産のものと比して格段に美しい色合い、重宝されたことは容易に想像できます。それに目を付けたのが、出雲国であり大国主命であったと。征服することにより莫大な資産を蓄えることができたことと思われます。
◎当社はおそらく「けた」神社と称されていたと考えられており、北陸地方を中心に多く鎮座する気多神社系の一社。ご祭神も同様に大国主命。出雲国の進出の様子がよく分かります。
妃の一柱である奴奈河姫命と御子神二柱が祀られますが、うち建御名方神は奴奈河姫命との間に生まれたと「先代旧事本紀」などには記されます。
◎創建時期は不明。弘仁四年(813年)に神階授与が見られるのでそれ以前であると。かつては海近くの「身輪山」中腹にあったものの、社地が陥没崩落したため現社地に再興遷座されています。

*写真は2013年10月撮影のものです。










「片葉の葦」。親鸞などというという僧侶の説話がありますが、もちろん後世の附会。