飽波神社 (安堵町東安堵)


大和国平群郡
奈良県生駒郡安堵町東安堵1379
(P無し、社前ギリギリに寄せて停め置くか、近くの安堵町役場Pを利用する等)

■祭神
素戔嗚命


安堵町の古い集落内に鎮座する社。安堵町はかつて飽波郡であったものの、令制国制になってから平群郡に編入。当社はその地名を冠する社、式内社ではないものの重要な社であったかと思われます。
◎当社より北400mほどに広峰神社が鎮座、そちらは聖徳太子の「飽波葦墻宮(あくなみあしがきのみや)」跡とされています。太子がその宮に滞在中、五色の雲がたなびき霊剣が現れる夢を見たとか。素戔嗚命が牛頭天王となり顕現したと思い祠を建てたという創建説話が伝わっています。境内には「太子の腰掛け石」などというものも座します。
◎この説話はもちろん後世の附会であろうと思われます。「腰掛け石」は往古より磐座として祀られていたものかもしれません。気になるのは駿河国に同じ飽波神社が鎮座すること。そちらは「飽くことなく波のように水が溢れ出る」ことからの社名。当地にも同じような伝承があったのか、あるいは奉斎氏族が移住したのかもしれません。
◎当地より500m北に鎮座する広峰神社を当社の旧社地とする伝承もあるようです。

※写真は2018年6月、2020年9月、2022年9月撮影のものとが混在しています。







社前にある石碑。廃絶した社跡なのでしょうか。

いくら「腰掛け石」と称されているとはいえ、神聖な神が宿る石であり、太子もまさか本当に腰など掛けることはなかったと思われますが…。