高石神社
(たかしのじんじゃ・たかいしじんじゃ)
和泉国大鳥郡
大阪府高石市高師浜4-1-19
(P無し、参道奥で工事中だったこともあり鳥居前に突っ込みました)
■延喜式神名帳
高石神社の比定社
■旧社格
郷社
■祭神
少彦名命
天照大神
熊野坐神
高石市の美しい海岸、浜寺公園前の高師浜駅(たかしのはまえき)近くに鎮座する社。2018年の大型台風で壊滅的な被害を受け、現在再建に向けて鋭意奮闘中といったところ。
式内比定社でありながら、創建等についてはほとんどが不明。唯一の手ががりが高志連(コシノムラジ)、あるいは古志連(高志連と同族か)が祖神を祀った社ではないかとされています。「高師浜」も「高石市」の地名も、この氏族に関連した地名ではないかと。
高志連は続紀に、神護景雲二年(766年)に姓を賜ったと記されます。一方、古志連は「新撰姓氏録」に「古志連 文宿禰同祖 王仁之後也」と記されます。王仁(ワニ)というのは、応神天皇の時代に百済から渡来、「論語・千字文」を伝えたと教科書にも登場するあの著名な人物。ただし応神天皇の時代にはまだ「千字文」自体が成立しておらず、史実ではありません(中国から百済に伝わった時代は特定できないらしい)。王仁も生没年不詳、おそらく中国から百済に渡ったのであろうと推測される程度に。当地付近の村民は大工が多かったらしく、「大工村」とも呼ばれていたとか。おそらく王仁が工芸技術者を多く伴って渡来したからであろうと考えられています。渡来時期は不明ながら、応神天皇の時代よりはかなり下り、高志連姓を賜った766年よりは前であることは分かっています。
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