雙栗神社
(さぐりじんじゃ)


山城国久世郡
京都府久世郡久御山町佐山双栗55
(西側大鳥居より進入、二の鳥居の手前に停めました)

■延喜式神名帳
雙栗神社 三座 鍬靫 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
天照大神
素盞嗚命
事代主命
品陀別命
比咩大神
息長帯日売命
大雀命


久御山町の市街地内、城陽市「佐山」に鎮座する社。大鳥居と長い参道、重要文化財の社殿は式内比定社に相応しいものとなっています。
創建由緒については大きく二説有り。一つは地名由来のもの。「羽栗郷(はくりごう、佐山村)」、「殖栗郷(なくりごう、佐古村)」、「拝志郷(はいしごう、林村)」の三村の鎮守社であったが、「羽栗郷(佐山村)」と「殖栗郷(佐古村)」の両「栗」村の間に鎮座することから雙栗神社と称されたとするもの。今一つは古代豪族である羽栗氏が奉斎した社であり、「羽栗」が「双栗」に転訛したというもの。
一つ目に関しては「山城国風土記」逸文にある「南郡(なみくに)の社(祗つ社) 名は宗形の阿良足(アラタラシ)の神 里を並栗(なみくり)と号く」とあります。「宗形の阿良足」とは、「宗像」と「足(タラシ)」がみえることから、品陀別命と息長帯日売命に比咩大神を合わせた三柱を示しているように思います。これだけを見れば、現在七座のうちの後半三座がかつてのご祭神であったかのように見えなくないものの、ところが「阿良足神」の一座。「アラ」という言葉から縄文神を根とする神のようにも思えますが、出自は不明の神。
二つ目に関しては、「羽栗氏」に該当するのであろう氏族が二書に見えます。先ず「新撰姓氏録」に二箇所、「左京皇別 葉栗朝臣 和安部朝臣同祖 彦姥津命三世孫建穴命之後也」と「山城国皇別 葉栗 小野朝臣同祖 彦国葺命之後也」と。前者の「和安部朝臣」は「左京皇別 和安部朝臣 大春日朝臣同祖」とあり、さらに「大春日朝臣」は「左京皇別 大春日朝臣 出自孝昭天皇皇子天帯彦国押人命也」と。次に記にも「羽栗氏」として、孝昭天皇と世襲足媛の間に生まれた第一皇子 天帯彦国押人命の後裔として16氏族が列記されており、当氏はその一族。紀に羽栗氏(葉栗氏)の記述は無いものの、記に記される16氏族が和珥氏の後裔であることが分かります。
なお宇治田原にも同名社が見えます(未参拝)。「式内調査報告」など、当社はそこからの分霊または勧請であるとみる向きもあるようです。

参道は東西に200mほど、南北に50mほど。





樹齢400~500年ほどのクスノキ。