星神社 (名古屋市西区)


尾張国山田郡
名古屋市西区上小田井1-172
(P無し、宮司に許可を得て隣接したところに停めた記憶があります)

■延喜式神名帳
坂庭神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
大名持命
[合祀] 天香香背男神 牽牛星・織女星


「庄内川」と「矢田川」が合流する西側、現在の「庄内緑地」の北側に鎮座する社。
◎かつての尾張国山田郡とされるものの、その西側がどこまでであったのか、意見が分かれているようですが、これはたびたび起こった洪水で川の位置が大きく変わっていることが最大の要因。合流間もなくの位置に鎮座する当社も、おそらく幾度か被災していると推され、遷座を繰り返したのではないかと思います。
◎当社の創建由緒に関してはほとんどが不明。社伝によると、弘安三年(1280年)に大勢の軍が押し寄せ、社殿や古書などすべてが焼失したとのこと。
◎この事件についての記録は他の書には見えず、またこの頃の事件と言えば「元寇」が想起されるものの、尾張国にはまで及んだとは到底思えません。これを宮司に尋ねたものの、不明であると。南北朝時代に再興されるも、今度は秀吉により社地をほとんど没収され、現在に至っているとのこと。
◎まず「式内社 坂庭神社」に宛てられていますが、他に小牧市に鎮座する坂庭神社(未参拝)が論社として挙げられています。ところがそちらは春日井郡であり、山田郡の郡域ははっきりとしないものの、少々離れ過ぎかと。ただし前述の通り繰り返し遷座があったであろうと思われるため、安易には決めがたいところでも。
◎当社では古くから「星祭」が行われていたとされます。香香背男神と牽牛・織女神を祀る祭場(祭庭)に酒を撒いたとあり、「酒庭」から「坂庭」に転じたものと考えてとのこと。
◎ご祭神の大名持神は不明。国津神代表とも言える香香背男神と大名持神ですが、一方は真っ先に天津神に降伏、一方は最後までまつろわなかったと、正反対に描かれる両神が同座しているのが滑稽なところ。もちろん神話の世界のことであり、香香背男神自体が天津神とも取れる表記もされていますが。
◎仮に式内社に宛てるのであればご祭神は一座。香香背男神が本来の主祭神となるのでしょうか。

*写真は2017年9月撮影のものです。




ご本殿の瓦等は崩壊寸前。あと10年はもたないであろうが、改修資金は到底捻出できず、このまま崩落を迎えるしかないのかと宮司は嘆いておられました。心ばかりの奉賛は致しましたが。