伊和神社


播磨国宍禾郡
兵庫県宍粟市一宮町須行名407
(早朝6時頃から参拝を始めましたが、駐車には困らなかったと思います)

■延喜式神名帳
伊和坐大名持御魂神社 名神大 比定社

■社格等
[旧社格] 国弊中社
[現在] 別表神社
播磨国一宮

■祭神
大己貴神
[配祀] 少彦名神 下照姫神


宍粟郡(しそうぐん、「播磨国風土記」では「宍禾郡(しさわのこほり)」)は兵庫県の山間部、西は岡山、北は鳥取に隣接する地。揖保川が流れ、播磨国と但馬国や因幡国通じる古代から要衝として縄文時代から開けていたようです。
◎伊和大神は大己貴命とされます。ところが元々は土着の伊和氏が奉斎した神と考えられ、おそらくは大和朝廷の支配が及ぶにあたり衰退し、大己貴命に習合されてしまったものとみられています。
社伝によると、成務天皇甲申年あるいは欽明天皇二十五年、伊和恒郷に「我を祀るべし」と伊和大神の神託があったとされています。伊和恒郷という人物については他資料には見えず不明。「播磨国風土記」には「伊和部」や「伊和君」などが見え、当地を拠点としていたことが伺えます。
元々は同じ宍禾郡の石作里(いしづくりのさと)を拠点としていたと記されます。
◎伊和大神に出雲との関係が生じるのは、天智朝(668~671年)以降とみられています。つまり「播磨国風土記」が編纂された715年頃の少し前あたりかと。一地方神であった伊和大神を大己貴命と習合させたのは、当社の格上げを図ったからとも考えられています。
風土記では大己貴命が当地で国造りを終え、「於和(おわ)」と発したことにより於和村となり、伊和村に転じたとされています。また神酒村(みわむら)から転じたとも。いずれも大己貴命に習合されてからの後世の付会かと思われます。本来は伊和氏が「石作里」を元々拠点としていたことから、「岩大神」であったのではないかと考えています。


※写真は2013年頃撮影のものと思われます。
※早朝参拝のためかなり暗く写っています(多少は画像補正を施しています)。










「鶴石」と称される伊和大神降臨石。