櫻井神社 (堺市)


和泉国大鳥郡
大阪府堺市南区片蔵645
(P有)

■延喜式神名帳
櫻井神社の比定社
[合祀社 山井神社] 山井神社 鍬 の論社
[合祀社 国神社] 國神社の論社

■旧社格
府社

■祭神
[中殿] 応神天皇
[東殿] 仲哀天皇
[西殿] 神功皇后
[合祀社 山井神社] 美豆波之女神
[合祀社 國神社] (祭神不詳)


堺市の南部、泉北ニュータウンの外れに鎮座する社。国宝とされる拝殿が際立ち、またアイドル歌手の名前と同じらしく、残念ながら観光スポット化してしまっています。
◎社伝によると、古代当地方に居住した桜井朝臣一族がその祖神である武内宿禰を奉斎したのを起源としているようです。桜井朝臣とは「新撰姓氏録」に記される「左京皇別 桜井朝臣 石川朝臣同祖 蘇我石川宿禰四世孫稲目宿禰大臣之後也」。つまり桜井朝臣は蘇我稲目から分派した一族。おそらく蘇我小祚を祖とするものかと。そして蘇我石川宿禰が武内宿禰の御子であり、祖神を祀ったと思われます。神名帳も一座であり、この点だけで言えば合致するもの。
◎さらに社伝には、推古天皇五年(597年)に上神谷八幡神社(にわだにはちまんじんじゃ)を合祀したとあり、これが現在のご祭神三座かと思われます。武内宿禰は末社の武内神社として祀られています。
ところが八幡宮の総本社であり起源とされる宇佐八幡宮(記事未作成)でさえ、應神天皇降臨(これを起源としている)は571年のこと。わずか20数年後に上神谷八幡神社が創建されたとするのは、無理があると思います。また蘇我稲目の没年は570年。桜井朝臣と名乗ったのは少なくとも稲目より2代以降後のこと。その間に櫻井神社が創建され、早々に上神谷八幡神社を合祀してと、少々慌ただし過ぎるようにも思います。597年は櫻井神社の創建であったのが、後世に上神谷八幡神社の創建であると誤認されたのかもしれません。
◎当社には式内三社が鎮座。式内社 山井神社と、同じく式内社 國神社はいずれも明治に合祀されたもの。山井神社は「山の井」つまり清泉があったとされ、故に水神である美豆波之女神を祀っているようです。
一方の國神社はかつて五社権現と称されていたらしく天照皇大神、熊野大神、山王大神、金峰大神、白山大神であったとされます。空海とかいう僧侶の勧請とされています。ところが社伝には、垂仁天皇八年に天照大神が鳳凰と化して降臨、景行天皇二十四年に武内宿禰に命じて創建、同五十五年に遷座。この遷座地が現在の大鳥大社の境内で、境内社の大鳥美波比神社として祀られるとしています。社名から国津神、おそらく大国主神あたりが本来祀られていたはずが、天照大神に取って変わられたものかと。さらにその上に、空海あるいは修験者などにより五社権現が被せられたものかと思います。
◎拝殿は国宝に指定されるもの(冒頭の写真)。堺市唯一の国宝であり華々しい宣伝がなされているものの、鎌倉時代のものということもあり非常に簡素な造り。指定されているのは、現存するこの時代の建築物が希少なものだからかと思われます。