☆ 下池山古墳


大和国山邊郡
奈良県天理市成願寺町
(P無し、南東の池沿いの道がL字型に窪んでおり案内板あり、そこに上手く突っ込めば邪魔にならないと思います)


■形状
前方後方墳
■全長
120m
■築造時期
4世紀初頭から中頃
(古墳時代前期終末期~中期初頭)
■埋葬施設
竪穴式石室
■出土品
内行花文鏡、管玉・勾玉・ガラス玉などの装飾品他
■周辺の状況
中山大塚古墳などともに大和古墳群を形成
■被葬者
(不明)



前方後方墳の代表的なものと言えるかと思います。国史跡に指定されています。

また直径37.5mの大型内行花文鏡が出土(橿原考古学博物館にて展示)。
しかも縞模様に染色された絹織物の巾着袋で、漆製の木箱に入れられるという豪奢なもの。


この絹織物というのが、日本特有の「倭文織(しずおり)」というものと考えられています。

わずか1cmの間に70~80本という緻密さ。感動を覚えるほどのものであるとも(残念ながら現物確認はしていません)。

記紀、万葉集などに多く記される「倭文」という言葉。「しずり」「しどり」「しつ」「しつり」…などいろいろに表記されます。

古代を紐解く上で重要なキーワードの一つであると朧気ながら認識しているものの、未だこの言葉と真摯に向き合ったものとは対峙していません。そのうち出会うのだろうと、呑気に構えて10年以上は経ちましたが…。

「倭文神建葉槌命」として記されるのが紀の初出。出雲の国譲りの後、最後までまつろわなかった星の神を平定したのがこの神。

次に垂仁天皇の条。石上神宮に納められた剣一千口の管理を任された五十瓊敷入彦命に、十種の部民が授けられますが、その中に「倭文部」が見えます。ここで宗教的(呪術的)な役割を担った集団であることが窺えます。

雄略天皇の条には、「倭文纏の胡床(あごら)に立たし…」と見えます。
胡床とは拝殿内でご祈祷などをして頂く時に座る、あの折り畳みの椅子状のもの。そこに美しい「倭文」が纏われているといったところでしょうか。

天武天皇の条には「倭文連」が記されます。

万葉集にもいくつか登場しますが、その時代には既に舶来の豪奢な織物があったために、粗末な織物…といった受け取られ方をされています。

ただし「倭文連」とあるように、宗教的な観念のもののようになっていたかと思います。

少々脱線しましたが、古墳には有力者が眠っていることかと思います。

※写真は2017年5月、2019年6月、2021年1月のものが混在しています。




前方部から後円部を。

後円部の頂。石室があったところでしょうか。

写真のちょうど真ん中に「二上山」。左の方に「葛城山」。

前方部から周濠を。

案内板は周濠南東角にあり、そこから墳丘への登拝口があります。