☆古墳☆ 小治田安萬侶の墓
(オ八リダヤスマロ)


大和国山邊郡
奈良市都祁甲岡町101
(Pらしきもの有)


文武天皇から聖武天皇まで4代の天皇に仕えた官人であり、
蘇我稲目の後裔のようです。

生年不詳、神亀六年(729)三月十三日没。

この墓(古墳ではないとされる)の特徴は
◎玉石を敷いた墓壙に灰と木炭を埋めて粘土で覆い、その上部に金銅の墓誌板や蔵骨器を安置したもの。
◎墓誌板は当時の情報を知る上で非常に重要なもの、東京国立博物館に引き渡されました。内容は以下の通り。
「左琴神亀六年二月九日
右京三條二坊従四位下小治田
朝臣安
萬侶大倭國山邊郡都家郷郡里
崗安墓
神亀六年歳次己巳二月九日
右書神亀六年二月九日」と。
「二月九日」がやたらと出てきます。この時代を考える上で重要なことは、この「神亀六年(729)」に「長屋王の変」が起こっていること。密告があったのは二月、そして長屋王が自害したのは三月(長屋王の没年は三月十六日とされている)。つまり小治田安萬侶が没した3日後。関連があるのかという想像も。
都祁水分神社が鎮座する樹叢の東側に墓があります。聖武天皇の頓宮跡があったり、闘鶏氏の主要な社である國津神社も鎮座(闘鶏氏と関連は無いようです)する、いわゆる霊地だったのかもしれません。
◎この時代には珍しい火葬墓であること。
◎三彩の壺、和銅開珎、須恵器、土師器などが出土

少し離れていますが、似た名前の太安万侶の墓も同じ奈良市東部の山里内にあり、
何らかの関連があるかもしれません。


ここが駐車場かと思います。


ほとんど解読できず。