野々宮天神社 (奈良市六条)


大和国添下郡
奈良市六条1-31
(P有)

■祭神
菅原道真公


緩やかな丘陵地、住宅街の中にひっそり佇む社。当地一帯に数多く点在する菅公を祀る社の一つ。土師氏が拠点とした地であり、後裔に菅公を輩出しています。
社名の「野々宮」から「野宮」が連想されます。「野宮」は「斎王にト定された後に一定期間籠る施設」のことで、「やや神に近づくために世俗から隔離措置が取られ、最初の一定期間を宮城内に設けられた初斎院にて潔斎を行い、その後に野宮に遷って潔斎を続けた他、各種の儀式も執り行われた(以上Wikiより)」というもの。
上記をふまえての当社の思量。まず創建由緒等に関する資料は見当たりません。もちろん社名由来についても。さらに遷座の歴史の有無も。元々「野宮」と称されていたところに菅公が被さり、「野々宮天」神社となっていったのかも。次に鎮座地について。「初斎院」が宮城内であるなら、遷された「野宮」は宮城外と捉えるべきでしょうか。ところが当地は平城京内であり、そうすると該当しないと捉えるべきなのでしょうか。もう一つ、気になるのは「離宮ヶ丘町」という案内標識。境内隣を北上する道に対しての案内で、否が応でも目に入ります。こちらは孝謙天皇の離宮「瑠璃宮」跡であるようです。普通、離宮を平城京内に造るものなのでしょうか。離宮が平城京内にあったくらいなら、野宮も平城京内にあったと考えるのは短絡的なのかもしれませんが。
少し北の五条山辺りは菅が一帯に自生していたことから、土師氏が菅原姓を賜っています。平城京内でありながら、案外この辺りは未開の地であったのかもしれません。