☆杖衝坂 (釆女町)
(つえつきざか)


伊勢国三重郡
三重県四日市市釆女町
(詳細住所不明、向かいの家は「釆女3465」)
(P無し、短時間なら前に路駐か)


日本武尊の東征の帰途にまつわる史跡。

旧東海道の中でも急勾配の坂として有名、
かつては牛の貸出しも行われていたとか。

日本武尊は伊吹山の神と素手で戦い敗れ、病にかかった状態で大和帰還へ。

その行く手に立ちはだかるのがこの坂。
剣を杖代わりに登ったとか。

その剣とは…
草薙剣はミヤズヒメに授けて、伊吹山には素手で戦っているので、剣は携行していないはず?
神話ですし詮索はやめましょう。

古事記には「吾足如三重勾而甚疲」と。
つまり、疲れはてて足が三重に曲がりそうだと。
これが現在の「三重」の地名由来になったとも。

なお、このしばらく先にはこちらも日本武尊ゆかりの「血塚社」があります。

当地にも井戸、「血塚社」にも井戸があり
いずれも空海という僧侶が関わっています。

日本武尊が歩んだ道、そしてまたしても空海、
「鉄」の匂いがぷんぷんしますが。

ところで芭蕉はこの急坂で落下し、
「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」という句を詠んだとか。

落馬してもただでは…(笑)


釆女八幡社に車を停めたまま歩きました。本当に足が三重に曲がるほどの坂なのか、試してみたくて(笑)

進行方向は左。ぐるっと右へ転回して奥に見える丘陵へ。

手前に見えるのが井戸。

足が三重に曲がるほどの坂というのは少々大げさかも。病のうえ負傷していたからかも。芭蕉さんは句を作るためにわざと落馬?(笑)