☆ 長屋王墓



大和国平群郡
☆長屋王墓
奈良県生駒郡平群町梨本字前758
(P無し、隣の公園前に停め置きました)



「生駒山地」と「矢田丘陵」に挟まれた「平群谷」内の古墳。妻の長屋王の吉備内親王墓(後ほど記事UPします)がすぐ近くに築かれています。

「続日本紀」には、長屋王とその正妻である吉備内親王を「生駒山に葬る」とあります。

「現在の生駒山」とこの墳墓がある平群の地がどれだけ離れているのか、奈良県民なら分かる人は多いかと思いますが、ざっと10~15kmほどでしょうか。

古代の「生駒山」とは、現在の「生駒山麓」を指しているかと思います。

往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにますいこまつひこじんじゃ)は「現在の生駒山」の南麓に鎮座。
生駒山口神社は生駒山麓の南端、「現在の生駒山」から南へ10km余りに鎮座。こちらですら当墓から1kmほど離れており、間に「竜田川」を挟んでいます。

当地は「生駒郡平群町」ですが、いわゆる「生駒」とは遥かに離れた地。

長屋王夫妻の墓ではないであろうということは明白。
そもそも治定の根源となったのは「大和志」の記述。この2墓が夫妻の墓であると記したため。

近年の土地開発により、古代の地形は分かりかねますが、また現在は丘陵地であり山と呼べるようなものではありません。「平群谷」とも称された、「生駒山地」と「矢田丘陵」とに挟まれた広大な谷地。

古事記には「畳籠(たたみこも)平群の山の…」と記されます。当地であれば「平群山(の麓)に葬る」と記されたのではないでしょうか。

なお長屋王墓の下には全長45mの前方後円墳が埋もれているそうです。







「長屋王御墓公園」が隣に設営されています。