神波多神社
(かんはたじんじゃ)


大和国添上郡
奈良県山辺郡山添村中峯山310-1
(P無し、一の鳥居前は路駐困難、かなり狭いが北側からの道から境内に駐車可能)

■延喜式神名帳
神波多神社 鍬 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
神須佐之男命
[合祀] 櫛稻田姫神 春日大神


「延喜式」臨時祭 「畿内堺十処疫神祭」の一、「大和与伊賀堺」に推定される社。他の九社はほとんど分かっていません。もちろん須佐之男神がその大役を果たしています。
当社に密接に関わる伝承が、近くの名張川の「釜淵」というところの川中に座す大石(未確認)にあります。その大石には直径2mほどの穴が開いており、そこから当社ご祭神(神須佐之男命)が顕現したとされています。また天王と予野の子供たちが川遊びをしていると白髪の老翁が現れ、「一旦家に帰りもう一度ここに戻って来なさい、そして私は早く戻って来た方のところに行こう」と。天王の方の子供が早く戻って来たので、天王の方に鎮まったとされます。天王に向かう道中、老翁は「ムジャラク、ムジャラク」と言っていたので、祭礼の際は「まじゃらく」という行事が行われているとか。ここでいう「天王」はもちろん当地のこと。「予野」は名張川を挟み隣の伊賀国の村のこと。もちろん後世の付会話ですが、「ムジャラク」という言葉が気になります。おそらく分からなくなってしまったので、こういった付会話ができたのでしょうが。
他にも宇陀郡内牧村の伊豆神社の元々のご祭神は須佐之男神でしたが、ある乱暴者が社を川に流してしまい、それが遥か下流の「釜淵」まで流れ着いたという伝承も。さらに当社南東の方に「舟岩石」というものが座し、降臨伝承があるとか。山添村の縄文早期からの巨石信仰に端を発する社であるかと思われます。
また当地には秦氏が入植していたことから、地名は「波多」に。やはり山添村は特別な地であるという認識からなのでしょうか。
古くから当地で慕われた社であったらしく、山添村全体の総社的な社となっているようです。




境内社 八柱神社