天津社 (波敷野村)


伊賀国
三重県伊賀市波敷野814
(境内にP有るがそこまでの路地が細く軽以外不可、駐車は下部写真参照)

■祭神
(不明)


長閑な山里、伊賀市「波敷野」集落内にひっそりと鎮座する社。
◎元々はこの「波敷野村」と隣の「石川村」の総社であったものが、御神宝を当社に御神体を穴石社(穴石神社)に分祀したとされます。また当社の方は明治の合祀令により、陽夫多神社に合祀されています。
◎往古は大変重要な社として捉えられていたらしく、古書には「名張郡國津社(現在は五社が鎮座)を以って(伊賀国の)南辺を鎮し、天津社(当社)を以って北辺を鎮し、国の中央敢國津社(敢國神社)を以って中極を鎮し一の宮と称す」と。
当地名の「波敷野」はおそらく「土師器」から来るものであろうし、また関連する穴石社も「穴師」からの転訛と考えられ、渡来系技術集団の拠点であったのではないでしょうか。現在はかつての面影は見られず、細々と奉斎が続けられているようです。
◎ご祭神に関しては陽夫多神社の合祀神から察して、大日孁貴命かと思われます。


ちょうど真ん中辺りの辻を左折しますが、軽しか通れなさそう。赤い車が停めたところです。

一般民家の敷地のように見えますがこちらが境内。