☆市尾墓山古墳



大和国高市郡
奈良県高市郡高取町大字市尾字墓山
(P無し、周辺道路はそこそこ広いのでギリギリ寄せれば停め置きできます)



■形状
前方後円墳
■全長
全長65m、周濠と外堤を含めると110m
■築造時期
6世紀始め頃
■埋葬施設
横穴式石室、家型石棺
■出土品
ほとんど盗掘済み
玉類、馬具、刀、円筒埴輪など
■周辺の状況
至って平坦な地で周囲の見晴らしは良い
「高天山」(金剛山)や「二上山」が見える
■被葬者
巨勢男人(大臣)が有力



高市郡の西端、現在の高市郡高取町「市尾」に築かれた古墳。「曽我川」の西側、平坦地にあります。国史指定。

場所は古代官道「紀路」沿い。飛鳥の都から紀ノ川河口へ通じる道であり、多くの渡来人が行き来した道。

古墳の規模、あまりに目立つ立地状況から鑑みても巨勢氏の墳墓であると考えられています。「紀路」沿いに陣取っていたのは巨勢氏。別に蘇我氏のものという考えもあるようですが。

巨勢氏は際立った事蹟が少なく馴染みの薄い氏族。華々しい活躍は見えません。時代は下って巨勢金岡が画家として有名なくらいのもの。

巨勢氏は武内宿禰の次男、小柄宿禰(オカラスクネ)を始祖とする氏族。
男人が継体天皇擁立に携わったり、磐井の乱の軍事編成に携わったりしたことにより台頭。地味ながら歴代の重鎮として堅実に活躍していったようです。

天武天皇の御宇に黒麻呂がない朝臣姓を賜っています。人(比等)は壬申の乱の際に近江軍に組したため配流されていますが。
男人の時代が巨勢氏の最盛期だったように思います。

*写真は現地撮影が2019年2月、橿考研附属博物館の展示物が2023年2月のものです。








以下、橿考研附属博物館内展示物を。こちらは儀杖形木製品。






*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。