☆神武天皇聖蹟 男水門顕彰碑
(をのみなと)


紀伊国名草郡
和歌山市小野町2-1(水門吹上神社境内)
(水門吹上神社のPを利用)


『神武天皇血沼海ヨリ廻リテ紀國ノ男水門ニ至リ給ヘリ時ニ 皇兄五瀨命賤奴ガ手ヲ負ヒテヤ死ナント宣ヒ 男建シテ薨ジ給ヒシニ因リ男水門ノ名ヲ得タリ 聖蹟ハ此ノ地附近ナリト傳ヘラル』


どうやら大戦の影響で碑が欠け落ちたらしく、
最後の行は推測してみました。

神武東征の際に、長兄の五瀬命は生駒山西麓の「孔舎衛坂(くさのえさか)」で、
立ちはだかった長髄彦軍に敗れ重症を負います。

原因は日に向かって戦ったからであると結論付けられ、
それならと東の方角から攻めるべく、紀伊半島をぐるりと周り熊野へ向かいます。

ところが五瀬命の状態は悪化。
痛みに耐えかね雄叫びを上げたのが「男之水門」。

これにはニ説あり、一つは泉南市の男神社。
もう一つは当地。

この顕彰碑は水門吹上神社内にあります。

このあと五瀬命は竈山で薨じて
竈山神社に鎮まっています。


この時代は
長兄が祭祀を行い、末子が政治を(皇位継承)。

政治より祭祀の方が重要とされる時代。
皇軍にとってどれほどの痛手であったか…。



水門吹上神社の境内にあります。