辛國神社


河内国志紀郡
大阪府藤井寺市藤井寺1-19-14
(P有、境内南側の道より進入、北側にもあるらしい)

■延喜式神名帳
辛國神社の比定社
[合祀社] 長野神社 鍬 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
饒速日命
天児屋根命
素盞嗚命


藤井寺駅南すぐの市街地に鎮座、美しく整備された参道は「大阪みどりの百選」に指定されています。
河内国は物部氏の痕跡が色濃く残る地域で、当社もその一つ。書紀には「雄略十三年春三月 餌香長野邑(えがのながのむら)を物部目大連に賜ふ」とあり、その物部目一族が祖神の饒速日神を祀ったのが創建とされています。
物部氏はその後没落していきますが、同氏の枝派である辛國連が引き継ぎ奉斎したようです。物部氏の歴史は敗者の歴史であり分からなくなっていることが多いものの、辛國連は韓国(からくに)に派遣されることが多い氏族であったのではないかというのが宮司さんのお考え。
辛國連は新撰姓氏録に、饒速日命6世孫 伊香我色雄命の後とある氏族です。呪術者の韓国広足(カラクニノヒロタリ)を輩出した氏族として知られます。
当社の北東すぐに葛井寺(ふじいでら)があります。これは渡来系氏族である葛井氏(フジイシ)の氏寺と考えられているもの。この葛井氏は応神天皇の御代に渡来した辰孫王(シンソンオウ)を始祖とする氏族。当地を拠点としており、当社との関連も指摘されています。なお当社には遷座された歴史があり、旧社地は北西500mほどの辺りと推定されています。
当社には式内社 長野神社が明治に合祀されています。こちらは渡来系の長野氏が奉斎していたと考えられています。元の鎮座地は葛井寺の南西の境内地周辺であったとか。こちらも葛井氏が奉斎していたという説もあります。当社の祭神の一柱である素盞嗚神を祀っていたようです。