高田山口神社


大和国十市郡
奈良県桜井市高田山口(メスリ山古墳の真南約400~500m)
(P無し、集落を抜ける道も非常に狭く軽でギリギリ、メスリ山古墳と当社のちょうど真ん中辺りに池がありその南畔に空地有、地元の方はそこに停めてもいいと言われました、そこから徒歩15~20分)

■延喜式神名帳
石寸山口神社 大 月次新嘗 の論社

■祭神


桜井市の南郊外、農村地帯「高田」集落のさらに外れに鎮座する社。「御破裂山」の北麓。
◎十四社ある大和国の山口社の候補社の一。うち当社は式内大社 石寸山口神社の比定をめぐり意見の別れている社。現在比定されている石寸山口神社がとうてい山口社と思えない立地条件。それに比して「山の口(麓に近いところ)」に鎮座、立地条件のみを見れば当社こそが該当しそうです。
◎現在は社殿や境内へ入る鳥居も無く、ただ石が積まれているのみ(石積みの前には鳥居あり)。そして神社登録もなされておらず、氏子のみが細々と祀る社と化しているようです。
◎そういった状況の中、毎年10月に「亥の子祭」というのが行われているとか。子供がとにかく暴れ回るという奇祭で、おそらく時期的なものから田に降りていた神が、稲の収穫を見届け山に還る際の祭であると思われます。いわゆる「野神祭り」の一つかと。暴れ回る理由は不明、各地の野神祭りではこのような事例もみられます。

*写真は2018年7月と2021年4月撮影のものとが混在しています。


車を停めたところ。写真の右上端に見えるのがメスリ山古墳

当社へはここから200mほど坂道の集落を抜けて行きます。

集落の最後の家が左手に。中央の樹叢が当社のあるところ。



ここから社叢へ進入、道らしきものがあります。


鳥居が奥に見えています。




社殿等は無く、この石碑とその前の鳥居のみ。他は残骸。「金毘羅大権現」と彫られています。

文化十四年(1817年)の銘。


神籬状のもの。往古は寺もあったらしく、その礎石跡かもしれません。