天満神社 (榛原長峯)


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市榛原長峯876
(P無し、社前道路がかなり広くなっているので十分に停め置き可)

■祭神
[中殿 天滿神社] 菅原道真公
[左殿 春日神社] 天兒屋根命 經津主命 武甕槌命 比咩神
[右殿 羽槌神社] 羽槌雄命(禁野天神)


「福地岳」の北側麓、「榛原長峯」に鎮座する社。
◎社伝では「禁野天神(シメノテンジン)」として天武天皇勅願の社とされ祀られていたようですが、応仁の乱で焼失し祠のみになっていたとか。後世に至り菅原道真公を勧請、さらに明治には近くの春日神社を合祀しています。
◎「禁野(しめの)」とは天皇の狩場として一般の狩猟を禁じた地のこととされます。その鎮守として祀られたのが禁野天神と解していいかと思います。
禁じたものは薬草(推古帝、皇極帝)、キノコ(皇極帝、孝徳帝)、そして丹(水銀)にまで及んでいたとのこと。
◎万葉集(巻7-1376 不詳)に「倭なる宇陀の真赤土(まはに)のさ丹(に)着かばそこのか人の吾を言なさん」と。意訳は「大和の宇陀で採れる真赤土のように紅化粧をしたら、人は私のことを何と噂するでしょうか。あの人が振り向いてくれたなら…」。この「真赤土」は水銀を含む土、大和朝廷が「禁野」とした理由には貴重な水銀を確保するという目的があったのかもしれません。
◎宇陀市教育委員会HPではこのことにかなり踏み込んでおられ、薬草やキノコ類を遊猟していたのは中毒の危険がある直接的にではなく間接的に採取しようとしていたのではないかと指摘しています。またその丹が採れる宇陀の地には神仙思想があったのでは、とも指摘しています。
◎ところでなぜ禁野天神と羽槌雄命が結び付いたのかは不明。羽槌雄命は天羽槌雄神(アメノハヅチノオノカミ)のことで、「古語拾遺」では天羽雷命。倭文神(シヅリノカミ)として機織りの祖神でも。後裔氏族が祀っていたところに禁野天神が被さったのでしょうか。
◎「福地岳」は神武東征神話に記される「高倉山」の候補地の一。「菟田野宇賀志」で兄猾(エウカシ)を誅した神武軍(→ 詳細は宇賀神社の記事にて)、「高倉山」へ登り敵陣の情勢を視察したとされます。
かつては山中の「クラカケ」という地に椋下神社が鎮座していたとされます(詳細地は不明)。その山容から「オニギリ山」や「ゲンコツ山」などという俗称もあるとか。

*写真は2018年6月と2019年8月、2021年12月撮影のものとが混在しています。






鳥居をくぐったすぐのところに、この石碑。