力侍神社
(りきしじんじゃ)


紀伊国名草郡
和歌山市川辺字稲井61
(参道にP有、鳥居から進入)

■延喜式神名帳
(牟婁郡) 天手力男神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
猿田彦命
[合祀] 天忍穂耳尊 八衢彦命 八衢姫命 五男三女神 他二柱



畑の中、覆われた樹叢の中に悠然と佇む社。幹線道路(24号線)が近くを走り、当地も住宅開発の波に。あと数年先には住宅地内に佇む社となるのかもしれません。
◎鎮座地は古代の名草郡、現在の和歌山県の北方。ところが和歌山県南部の牟婁郡にあったとされる「式内社 天手力男神社」の論社(後裔社)ではないかと考えられています。
◎社伝によると、熊野本宮大社の旧社地である大斎原(おおゆのはら)から遷座したとされます。先ずは平安中期に「神波(こうなみ)字桑畑」へと遷座。これは現社地から北西500mほどの辺り。今も元宮として祠が設けられています。遷座理由は伝わっていません。
◎かつて大斎原には境内社が数社あったとされ、その一つが御戸開神社。そちらが「式内社 天手力男神社」だったとされます。そちらも遷座歴があり、その旧社地は大斎原から「熊野川」を挟んだ対岸、南東500mほどの山中(ネット上の情報管見による)
◎「紀伊続風土記」(江戸末期)は、「紀伊国神名帳」(成立時期不明、平安~中世頃か)に見える名草郡の「従四位上 雨手力男神社」が当社のことで、紀伊国牟婁郡の「式内社 天手力男神社」が前身であるとしています。
◎「神波字桑畑」へされ遷座され創祀後、かつて「上野」に鎮座していた八王子神社の地にさらに遷座。最終的には寛永三年(1626年)にその八王子神社とともに現社地へと遷座したと伝わります。その「上野」の地は「元宮」からさらに北西500mほど。この遷座は「神のお告げ」によるとのこと。
「上野」の旧社地には「川辺王子跡」として旧跡が残されています(現地未確認)。いつの頃か「川辺王子跡」が「八王子社」へと転じたとのこと。「川辺王子跡」は「熊野古道」の「九十九王子」の一。
◎ご本殿の隣には摂社である八王子社が、ご本殿よりわずかに小さいだけで大きく並び祀られています。
◎社名については天手力男神の神話に因んだものでしょうか。
紀伊国名草郡に根を降ろした大伴氏(久米氏と同祖、紀伊国造家、忌部氏も同祖と思われる)の祖神として、天手力男神が見受けられます。「古屋家家譜」によると、高皇産霊尊を遠祖として安牟須比命→香都知命→天雷命→天石門別安国玉主命(別名/大国栖玉命・大刀辛雄命)とあります。「大刀辛雄命」が天手力男神のこと。また磐排別命(イワオシワクノミコト)とも同神と見られ、「紀ノ川」(上流の大和国内では「吉野川」)流域で数多く祀られています。
当社への遷座理由は不明ながら、大伴氏(紀伊国造家)が当地へ勧請。本来の鎮まるべき地に祖神を鎮めたのではないかとも思われます。

元宮 


*写真は2018年6月と2024年3月撮影のものとが混在しています。








奥が力侍神社、手前が八王子神社。

境内社の稲荷社






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