巨勢山口神社
(こせやまぐちじんじゃ)
大和国葛上郡
奈良県御所市古瀬字高社303
(麓にP有、20分余りの登拝が必要、登山装備は特に不要)
■延喜式神名帳
巨勢山口神社 大 月次新嘗の比定社
■旧社格
村社
■祭神
伊弉那岐命
伊弉那美命
「巨勢山」(標高280mほど)の中腹に鎮座する社(鎮座地は200mほど)。大和国十四所山口神社の一とされ、往古のご祭神は大山祇神であったろうと考えられています。
◎元々は山頂にあったものが中世に現社地に遷座、山の口とは程遠いところにありました。現社地の前にも少しだけ南に遷座したという記録があり、そのときに山口社になったのかもしれません。江戸時代には高所大明神と称していたようです。
◎当地は巨勢氏が拠点としたところ。勢力範囲は高市郡巨勢郷(現在の高市郡高取町)から葛上郡(現在の御所市)古瀬にかけて。この「古瀬」が葛上郡と高市郡との境であったとされ、麓のすぐ側は高市郡であったとされます。
◎巨勢氏は武内宿禰の子、巨勢小柄宿禰を祖とする氏族と伝わります。6世紀以降、継体朝に巨勢男人、欽明朝に稲持、崇峻朝に猿、推古朝に大麻呂等が活躍。華々しい事蹟は無いものの、対朝鮮半島との外交を中心に着実に勢力を伸長させていたと見受けられます。
◎当地は山の谷合いの「曽我川」沿いであり、耕地面積としては乏しい地。交易等を糧に勢力を伸ばしたのでしょうか。紀伊へ至る「紀路」が走る要衝であったともされます。
伝承通りとするなら葛城氏・蘇我氏・波多氏と同族ということになりますが、いずれも「曽我川」の灌漑範囲。これが武内宿禰を共通の祖と仰ぐ同族意識を育んだのであろうという考えもあるようです。
◎「三輪明神旧神職巨勢氏系図」というものには、「巨勢男人之霊地也」とあるようです。「巨勢山」は巨勢氏のシンボル的な山であったのでしょうか。
一方で「大和志料」は、「巨勢山の霊を祭り巨勢氏の祖廟にあらず、疑くは中世にこれを配祀せるものならん」としています。
*写真は2018年5月と2024年4月撮影のものとが混在しています。
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