隅田八幡神社
(すだはちまんじんじゃ)


紀伊国伊都郡
和歌山県橋本市隅田町垂井622
(P有)

■旧社格
県社

■祭神
誉田別尊
足仲彦尊
息長足姫尊


紀伊国の北東端、大和国との境である橋本市の東部、「隅田町(すだちょう)」に鎮座する社。
◎当社の出色はなんといっても所蔵の人物画像鏡。日本最古の金石文が施された鏡であり、また大王号など48文字が記されたもの。出土場所や時期は定かではないものの、443年または503年の鏡製作に関する年代の銘文が施されています(下部に原文と訳文を記載)。青銅鏡で直径19.9cm。忍坂宮(桜井市忍坂)、そして継体天皇をさす「男弟王(おおとおう、男大迹王)」のことかとされています。
なおこれらについては諸説あり確定はしていません。とにかく考古学のみならず、古代日本語史などにとっても一級品のもので国宝となっています。
◎当社には応神天皇と付き従った武内宿禰の痕跡があるようで、そのご由緒を元に欽明朝に創建されたとか。社殿は中世に人気を博した八幡神社のおかげか、非常に立派なもの。また明治の合祀政策により、瀬織津姫神と丹生都比売神が合祀されています。

◎人物画像鏡の原文と訳文(*Wikiより)
【原文】
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
【訳文(大意)】
癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月●日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか、大和国城上郡忍阪)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。











*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。