高神社
(たかじんじゃ)

山城国綴喜郡
京都府綴喜郡井手町多賀天王山1
(麓に駐車可)

■延喜式神名帳
高神社 鍬靫 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
伊弉册命
菊理姫命
伊弉諾命

第29代欽明天皇540年、東嶽に神が降臨、そして橘諸兄によって現在地に遷座されたとあります。
この創建由緒は玉津岡神社のものと神名が異なる以外は酷似、天王山の北側(当社)と南側(玉津岡神社)とで同じ創建由緒を持つことになります。
ご祭神は諸説あります。「高神社本源記」では中央が高御産日神、左殿が伊弉諾尊、右殿が素戔鳥尊としています。「神社覈録」では祭神不詳としています。
社名の「高」はそのままの「高」でいいのか、それとも「多賀」なのかの問題があります。これは当社の複雑な歴史を追う必要があります。
・540年 東嶽(兎手玉津岡)に降臨
・711年 「多賀明神」の社として祀る
・725年 字西畑に「久保村宮」が創建
・726年 字綾の木に「谷村宮」が創建
・731年 橘諸兄により高村の山方の下津磐根に遷座される、高御産日神、伊弉諾命、素盞嗚尊を祀る
高御産日神の「高」の字をとり「多賀明神」が「高神社」に社名変更、「多賀村」が「高村」に村名変更
・878年 谷村宮龍神祭で死者の出る喧嘩勃発(村同士の争いか)
・885年 喧嘩問題を受けて相談が続けられ、三社を天王山にて統合し三村が仲良く祀ることで和睦
・888年 社殿完成、「高神社」と称される
・1221年 神託あり「多賀神社」に社名変更
・1068年 明治の神社制度改正により「高神社」に社名変更
以上の歴史を要約すると、当初はイザナギ神を祀る「多賀神社」であったが橘諸兄が高皇産霊神を持ち込んだものと思われます。橘諸兄は葛城王とも呼ばれた時期があります。葛城王朝が最高神と崇めていたのは高木神だと思っています。高木神=タカミムスビ神とされます。橘氏の盛衰に合わせ社名変更が何度も行われたのではないか、喧嘩問題もそこら辺に原因があったのではないかと考えています。
また別説として多可連(タカノムラジ)という渡来系氏族がいたとする説もありますが、詳細は不明。
ところでこの神社の原初は龍神を祀っていたのでしょう。878年に龍神祭と出ていますし、立地や地形を考えると龍神を祀るに相応しいところ。神氣の籠る聖地の名残があります。