印岐志呂神社
(いきしろじんじゃ)


近江国栗太郡
滋賀県草津市片岡町245
(大きなP有)

■延喜式神名帳
印岐志呂神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
大己貴命
(配祀)国常立尊


大鳥居に勇壮な社殿、式内社らしい風格を備えた神社です。
社伝では第38代天智天皇の勅願により大和の三輪神を分祀したそうで、「宮柱太敷き立て、高天原に千木高知れる伊岐志呂大神と称し…」とあり、印岐志呂の聖の杜に斎き祀ったそうです。
第30代敏達天皇の時代に印岐志呂の宮が造営、第31代用明天皇即位の大嘗祭の「悠紀田」に定められた地域、社名もこれに由来するとされています。
つまり創祀時は異なるご祭神であったということ。さまざまな資料を探りましたが、地元の産土神という程度まで。国常立神は明治になってからの配祀です。
興味深い説があったのでこちらに。まず古は農耕神であったのではないかということ。屯倉が置かれていたそうです。そして社伝にもあるように「伊岐洲(いきす)」と呼ばれた土地であること。茨城県の神栖に「息栖(いきす)神社」というのがあるらしく、「沖洲の津」という意味だそうです。湖岸に近い当社と何らかの関連があるのではないかと。非常に興味深い説です。
また尾張国造である乎止與命(オトヨノミコト)の后となった眞敷刀婢(マシキトベ)の父が、大印岐(オオイキ)とされます。関連がある可能性もあると考えています。
境外の田の中に一夜伏塚という伊岐志呂神の神塚の伝承地があるそうです。
三輪神として大己貴神の神名が上がっています。大物主はとは一切出て来ずに。
摂社として別雷神を祀る社が境内の一番端、200~300mほど歩いたところにあります。また境内の脇にも稲荷社が2社。いずれも円墳のような形状、当社の案内には2基となっていますがおそらく3基なのでしょう。





立派な楼門



ここから別雷神のある摂社へ。

こちらが別雷神わ祀る社、円墳の形状。


稲荷社2社のうちの1社、ともに円墳の形状。