体育会で学んだことは多々ありますが、三つあげるとすれば、


先輩後輩関係

お互い様の心


です。


先輩後輩関係は想像どおりです。規律・礼儀・上下関係等、厳しい面はありますが、逆にいえばスポーツ・武道を通じて絆が深まる、スポーツ・武道を通じて同じ価値観を共有できる、と言った面もあります。


お酒、これは人によって捉え方が様々です。ただ体質的にお酒が苦手な方は苦労されていました。なぜか何時も身近に一升瓶が数本ゴロゴロしていました。ちなみに僕は飲めた方ですが、それでもしんどかったです。


体育会と言えばやはり日本酒です。


お互いさまの心、これは同期を中心に絆が深まります。わがままは通りません。辛い時に逃げ出した人は残念ながらそれでサヨナラです。辛い時こそお互い様の心で助け合います。


僕は大学時代を振り返って先輩、後輩、そしてとりわけ同期に恵まれていました。もちろん中学・高校時代もです。ただ大学はお酒が入ってきます。時代も時代で世間様は大学生に対してお酒の面では非常に寛容でした。


大学の周りには酔っ払いがいっぱいいましたし、部によっては花見や紅葉狩りのイベントがありました。


このとっても楽しい花見そして紅葉狩りに関して次回は書きます。


花見!楽しそうです。えぇとっても楽しいですよ。


道場、グランド、コート、体育館、場所は様々ですが、花見なのになぜか中央に桜が一枝だけ、ぽつんとあります。そして円陣を組み先輩・後輩入り混じっての飲み会です。つまみ?そのようなものは貧乏学生にはありませんよ。あるのは日本酒だけです。えぇ一人ほんの一升程ですけどね。


次号に続く!

昨日、石川県白山市の角市長が79歳でお亡くなりになられました。


角市長は旧松任市議、石川県議を経られて白山市長を務められました。私の知る限りでは本当にご立派な方だと伺っています。私も白山市には少なからずご縁がありますので、心からお悔やみを申し上げます。


私は人生の先輩であり、多大な功績を残された角市長が亡くなられたニュースを昨日16時前にラジオで聞きました。また今日の新聞では昨日までお元気であり、また体調も回復されたとも書かれてありました。ご遺族にとってもご無念のお気持ちは多々あったものと推察いたします。


一方やはり79歳と言う年齢を鑑みますと、やはりいろいろなリスクを抱えての市政運営ではなかったかと感じます。市長と言う職責、これはまちがいなく激務でしょう。一年365日ほとんど職務にお時間を費やされたのではないかと思います。私の父も前日まで元気でしたが翌朝急に「くも膜下出血」で倒れ、その日の夜に手術となりました。7年前の話です。その後施設でお世話になりました。やはり70歳代後半でした。その父も一年8カ月前に他界しました。亡くなる当日の朝まで元気でしたが、急に出血し、あれよあれよという間の出来事でした。


私は10月19日に金沢市長選挙に関してブログで私の考えを書きました。


山出金沢市長のリスクに関して私なりに感じることを述べさせていただきました。そのリスクの一つとして高齢をあげさせていただきました。11月28日には金沢市長選挙が行われます。山出市長は投票日前日に79歳になられます。多選の問題もありますが、それ以上に高齢のリスクを私は感じます。もちろんある程度の年齢になれば個人差はとても大きいです。


しかし新聞の訃報欄を目にするとやはり70歳代後半から目立ってきます。首長の責務は規模を問わず大です。それゆえ「若さ」は必要不可欠とも感じます。


私はこの点からも金沢市長選挙を考える際、有権者お一人お一人が金沢市の抱える「リスク」を考えるお時間を持たれても良いのではないかと感じました。


角市長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

体育会!


年に4~5回、いや最近だと2~3回ですか、耳にするのは。


そして


体育会本部!


と聞くと体中が熱くなり、興奮してきます。これは年に1度あるか無いかです。


そしてこの言葉は僕の背筋をピーンと伸ばし、深く深呼吸をさせ、目つきが変わる魔法のような言葉です。


そうです。実は僕は体育会です。


早いもので大学を卒業し26年目を迎えています。しかしいまだにこの言葉には懐かしいあの時代が蘇ります。


既にお伝えしましたが僕は石川県立金沢錦丘高校を卒業しました。そして進学したのは、


東洋大学工学部機械工学科


です。


現在は工学部から理工学部へと進化しました。


最近の東洋大学は1月2日~3日に行われる箱根駅伝で有名です。僕は機械いじりが好きだったのと、総合大学へ行きたかった事、そして何より親元を離れ東京(実際は埼玉でした)へ行きたかった事、学費が相当安かったことなどからこの大学に進み(ひらってもらい)ました。


正式にはこの東洋大学工学部機械工学科を1985年(昭和60年)3月に卒業していますが、


僕は実は


東洋大学工学部体育会本部「押忍の精神」学科


を主席卒業したと心の底から思っています。


押忍の精神


それは


「耐えがたきを 耐え 忍びがたきを忍び 押さば押せ 引かば押せ これすなわち 自己滅却の精神也 我が道に いかに険しき山あれど踏みてぞ越えん押忍の精神」


でもありますが、


やわらかくは「はようございま


とも言えます。両方かもしれません。


僕は大学入学後体育会軟式庭球部に入りました。ええ御縁がありまして。半ば強引に、無理やり、実は高校の先輩が軟式庭球部にいまして。これも運命だと思い、「そして楽しもう!」と思ったのですが、実は、、、。



次号は明日に続きます。ディープな世界です。