歴史と未来の交流館(茨城県那珂郡東海村)。
やたらと平べったい特殊な建物です。
ここで「村を走った幻の小さな鉄道ー村松軌道ー」という企画展示が行われていました。
村松軌道とは、大正15年に今の東海村に開業したいわゆる軽便鉄道。
正直、地元の人でさえも知らない幻の鉄道です。
なんと、写真が1枚も残っていないとのこと。
路線図がこちら。
石神駅(現・JR東海駅)~真崎駅~阿漕駅 のわずか3駅、3.8km。
東海村には日本三体虚空蔵尊のひとつ、村松虚空蔵尊があります。
そこへの利便性を高めるために作られた鉄道のようです。
しかし業績は振るわず、わずか7年で廃業。
そんな幻の鉄道がなぜ令和の今、話題になっているかというと・・・
平成31年に東海駅前のある建物を解体した際に、その建物の骨組みとしてレールが出てきたからです。
建物の所有者は村松軌道の発起人の1人。
当時のレールを自分の建物に利用したようです。
こちらが出てきた村松軌道のレール。
比べると、村松軌道のレールはかなり小型ですね。
当時のSLを復元して展示していました。
何しろ写真が残っていないので、少しでも実感が湧くようにとの配慮だと思います。
こうしてみても、軽便鉄道はかなりコンパクトですね。
図面も展示されていました。こちらがSL。
遠州電気鉄道の余剰機関車を購入したと推察されています。
こちらが三等客車。
客車としては、これともう1両の二・三等合造客車、わずか合計2両での運行だったのでしょうか。
さらに謎なのがこの無蓋貨車。8両も購入しています。
海岸の砂利を運搬するために準備したとこのことですが、使われた記録はないとのこと。どこに置いていたのか、一体何がしたかったのか。
展示室の壁には大きく、当時の路線図が貼り出してありました。
その一部だけご紹介。
これは石神駅(現・JR東海駅)周辺。
真崎駅周辺。
終点の阿漕駅周辺。
そしてさらに、延伸計画まであったそうです。
北は大甕駅まで、南は那珂湊方面まで海岸を通って接続するという遠大な計画。
いずれも認可はされませんでした。
昭和2年の時刻表が展示されており、村松軌道も記載がありました。
たしかに実存していたことがわかります。
こういった廃線は、廃線跡として道路が残っていたりするものですが、村松軌道は古すぎるのと戦争もあったことで、廃線跡すらもほとんど残っていません。
唯一、常磐線と交差している高架下の道だけ。
こんなところを本当にSLがくぐっていたのか?と不思議です。
(実際に車で通ってみましたが、ギリギリ行けました)
SLの図面を見ると、高さは「7'0''」と読めます。つまり7フィート=213cmでしょうか?
ここの桁下高=1.8mだと、若干足りないですね。
レールのことも考えると、当時はこの道がもっと深く掘り下げてあったのでしょうか。
そういうことも考えると楽しいです。
その時代その時そこには、確かに鉄道が走っていたわけで。
なんとも不思議な気持ちになります。
この企画をしてくれた歴史と未来の交流館に感謝します。
受付でクリアファイルが売られていました。2種類。
<訪問日:2023年9月>