皆さん、こんにちは。
佐伯恵太です。
一昨日、Eテレ『又吉直樹のヘウレーカ!』で再放送された「独り言をつぶやくのはなぜ?」というお話がとっても面白かったです。
なぜ独り言をつぶやくのかということだけでなく、人間と他の動物との違い、人間らしさとはなにかという問いに迫るような物凄く奥深いテーマでした
東京大学大学院総合文化研究科教授の岡ノ谷一夫先生の研究室ではたくさんの鳥が飼育され、独り言ならぬ「独り鳴き」について研究されています。
ジュウシマツという鳥のオスは、メスに対して求愛の歌を歌うのですが、その歌は子供の頃に親から聴いたあと、自分で独り鳴きをして練習し、習得するのだそうです。
動物の鳴き声の中でも歌というのは複雑で、このような複雑なものは、練習することで初めて習得できます。そこで、独り鳴きをして習得するわけですが、この時、聴覚フィードバックといって、自分の出した声を聴くことで修正していくのだそうです。
人間も幼少期には同様のことをしていて、独り言で自分の声を聞いて練習することで言葉を習得しているとのこと。
しかし、ヒトの場合、独り言は幼少期にしか使わないわけではないですよね
人によってそれぞれ色々なシーンで独り言を言うと思うのですが、典型的なのが「知恵の輪」に挑戦している時だそうです
「難しいな~」「こっちがこうで・・・」「あっ違う!」など多種多様な独り言が飛び出すのですが、それは独り言を発生することで思考の整理をしているのだそうです。自分が知恵の輪をやっていた時を想像しても、たしかにブツブツ言いながらやっていた気がします
そんな風にして、独り言によって複雑な言葉を習得したり、思考の整理をしたり、そしてもちろん他者とのコミュニケーションも取りながら、人間は言葉を発達させてきました。
時間や、過去・未来という概念なども、言葉無くしては想像するのが難しいそうです
冬眠前にエサを貯めておく動物なども、冬眠明けはお腹が空いているだろうから、今のうちにエサを貯めておいて冬眠明けに目覚めたとき楽なようにしよう、という風に、未来のことを思考して行動しているのではないと考えられています。
考えてみれば、たとえば3日前、というのを言葉無しに想像するのって難しいですよね。
ちなみにプロのパントマイムのパフォーマーでも「昨日」というように時間の流れを表すときはパントマイムではなく「昨日」と書いた札を出してしまうそうです 「時間」は「言葉」ありきなんですね。
思い出を懐かしんで幸せな気分になったり、未来を想像して希望に満ちた気持ちになったり。
そういうことは人間だけの特権です
一方で、過去のトラウマにいつまでも悩まされたり、将来の不安で眠れなかったり、そういうことも人間だけの悩みです
昨今、過去や未来にとらわれずに今に集中することの大切さが提唱されていますが、それは、他の動物では当たり前のことなんですよね。
過去や未来について考えることができる能力は間違いなく生きる上で活かせる力でありますが、考えすぎはよくない、ということかもしれません。
考えてみれば、なんでも「過剰」は良くないですよね。
生活習慣病もそうです。
昔は糖や脂肪が貴重だったので、できるだけ食べること、が生きる上で重要でした。
しかし、食べ物が豊富にある現代においては、その習慣をそのまま採用すると、生活習慣病になってしまいます。
また、「情報習慣病」というのもあるそうです
「あっちに仲間がいるぞ!」「敵が近づいてきたぞ」「ここにエサがあるぞ!」という風に、できる限り情報を得ること、共有することが生きる上で重要だった時代において、情報は得られるだけ得る、というのが大切でした。
しかし情報が溢れる現代、同じことをやってしまうと本来必要でない情報まで得てしまい、時間の無駄になるだけでなく、必要ない悩みや不安の種になったり、ストレスの原因にもなりかねません。
言葉の獲得で急すぎる進化を遂げた我々は、もしかしたらその進化に振り回されているのかもしれません。
示唆に富んだ内容だなぁと、番組を観たあとも色々考えさせられました
100年後、1000年後の未来には、ヒトと言葉の関係はどうなっているでしょうか。
1000年後のヒトも、独り言をつぶやいているのでしょうか。