ロンドンに旅行をして感じたことを皆様にお伝えする、なんてブログを以前書きました。

1つ目は経済格差について

2つ目は演劇事情の違い(作り手編)、3つ目はそれの(お客さん編)です。

お気づきかもしれませんがわたしは物事を切り分けて割り切って考えるのがあまり得意ではないので、この様に他の記事がまた別の記事を補完し合うなんて構造になっております。

ですので、なんだか言葉足らずでわかりにくいなと思っている方がいらっしゃったらごめんなさい。

 

さて、そのロンドン旅行でもう一つ気づいたみなさまに共有したいことをふと思い出しました。

まずは皆様に質問ですが、皆様は日本人・韓国人・中国人(香港人)の見分けってできますでしょうか?

もちろん世の中にはたくさんの方がいらっしゃるので予想を裏切ってくるなんてこともありますが、これについてほとんどの人が見分けられるのではないかと思います。

(わたしが中国の方と香港の方の見分けが言語でもつかないのでここでは広く中国語を扱う方とさせてください。すみません。)

 

ロンドン自体は多民族が入り混じった交差点の様な街です。

道行く人を目で追えばあらゆる人種がいることが分かります。

(余談ですが、ですから、イギリス演劇では他の国よりも風刺の効いた作品を上演できます。差別がもっとも少ない国と言われることも少なくなく、「人種イジリ」をやっても炎上することはさほどありません。)

その中に、もちろんアジア人もたくさんいらっしゃいます。

そこであることに気づくのです。

意外と日本人は少ない?と。

 

実際問題、これは統計を見れば明らかであります。

ロンドン政府のホームページから参照できますが、「中国人>日本人>韓国人」と言った具合です。

しかし、なぜか中国人はもちろんのこと、韓国人のほうが目が行ってしまいます。

日本人がいることにはそんなに気づけないのです。

 

私自身の人を見てしまう基準もありますが、その一番の原因はファッションである気がします。

 

街中を闊歩していてまず目に入るのは中国の方。

ありのままにまっすぐ言えば、派手、なのです。

生地の量が多かったり、柄がガラガラしていたりします。

かと思えばたまに「うわ、芸能人さんみたい!」と思うようなスタイリッシュな方を見つけます。

声を聴くと韓国の方です。

では日本人は?というと日本語が聞こえるほうに首を向けたら「あ、日本人だ。」という程度でした。

つまり日本人の服装は目を思わず持っていかれるような服装ではないのです。

とはいえ、日本人も日本人とて、海外旅行に来ているわけですからやはり一張羅で、表参道を歩いていればおしゃれな人だなあと思う程度にはおしゃれさんなのにも関わらず、です。

 

外国のファッション事情には疎いので国内だけを鑑みますが、確かに日本人のファッションは目立ちにくい傾向にあると思います。

やはり「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」文化の日本でありますから全員が似たような服装になります。

所謂、原宿系、渋谷系、港区女子、など(ちょっとジャンルも分からないんですけど、)それぞれのジャンルに違いはあれど、でも、どうしてもジャンルで括られてしまいますよね。

ジャンルで括られる、ということは逆を言えばある程度のマジョリティが着られる服装でも有るということです。

ですから目立つという意味で、そこまで突出したファッションをする人が非常に少ないのかも、ということは十分に考えられるでしょう。

 

最近、若者の間で流行りのブランドでCOMME des GARCONSというものがあります。

俳優さんもよく着ていますよね。

(正確に言えば流行っているのはCOMME des GARCONSというより、PLAY COMME des GARCONSというブランド内のブランドですが。赤いハートに目がついているキャラクター?があしらわれているものです。)

その創始者に川久保玲さんという方がいらっしゃいます。

わたしの大好きなYohji Yamamotoの創始者である山本耀司さんと共に日本のトップデザイナーと評される方です。

この川久保さんをわたしは非常に尊敬しておりまして、彼女のファッションに対する考え方がとにかくかっこいいのです。

数々の名言も残されており、

ファッションとは、あなたが自分自身に取り付けた何かであり、そしてファッションが生まれた意味との対話を通じて、あなたが身につけた何かです。着ることなしにファッションは意味を持ちません。この点が芸術と違うところです。

と定義しています。

ファッションは単なる飾りではなく自分自身であるというわけです。

ですから、

すぐ着られる簡単な服で満足している人が増えています。他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。服装のことだけではありません。最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。そんな風潮に危惧を感じています

と主張するわけです。

 

そうなると、日本人の服装が目立たないのであれば、日本人が没個性的なのでは?とも考えられるわけです。

何も誰も彼もが目立つ服装をせよという話ではありません。

日本人の民族の習慣もあります。

ただ、それでも、彼女の言っていることにはありすぎる理があるのです。

事実、わたしはロンドンで日本人に気づけませんでした。

一番気づきやすい自分の民族がそこらにいることに気づけなかったのです。

 

集団ではじめましての人とご飯を囲む時にもあることですよね。

その人が派手でなくとも、騒がしくなくても、気になってしまう人っていますよね。

そういう人は「自分」を強く持っていて、話を掘ればすごい出てくるなんてよく有ると思います。

ですから、個性とは単に派手であることではなく、むしろ自分自身をよく分かることだと思うのです。

川久保さんの言葉でも、

ファッションはたった今、この瞬間だけのもので、それを今着たいと思うから、ファッションなのです。
はかないもの、泡のようなもの。
そんな刹那的なものだからこそ、今とても大切なことを伝えることができるのです。

というものがあります。

自分自身がよく分かる方は自分に合う服を選べるため、例えそれが高価なものでなくとも、おしゃれだなあと思わされるわけです。

 

だからといってファッションだけで日本人は没個性的だ!と評するのはあまりにも愚かな行為です。

ただ、それを手がかりに自分たちを知ろうとする行為には意義があるでしょう。

もし自分というものを見失っているのだとしたら、まずは衣食住のひとつでもある衣をちょっと自分らしくしてみようなんてやってみたら、心が少しは軽くなるのかもなんて、思うわけであります。

 

最後になりますが、実はこの旅行で日本人扱いを一度もされませんでした。

「ニーハオ!」や「アンニョンハセヨ」と何度言われたことでしょう。

ちなみに着ていた服装はこのブログのヘッダーのような日本人デザイナーによる服です。

中身も服装も日本人なのに、ぼくはそこでは日本人では無かったようです。

ですから、真の意味での日本人らしさとは世界的に見てなんなのだろうと考えさせられ、少し悲しくなりました。

もっと世界が認めるかっこいい日本でありたい。

 

とは言え、中国人に間違えられたことでお洋服屋さんのVIPルーム(この部屋にあるものは全部世界で一点しかないの、というやつです)に連れて行かれたことは少し凄くうれしかったので、山本耀司さんに改めて御礼申し上げます!

 

 

下平