珍しく父親から電話があった。母親のこと。また誤嚥性肺炎をやってしまったらしい。担当医が、体力の限界を示唆する。そこで表題の件。母は胃ろうを嫌う。拒否権は本人に託された大事な意思表示だ。だが、代案が点滴では心許ない。延命治療を拒否されて、家族はどうする。
母は、食べることが好きだった。僕が面会に訪れると、これから昼食だから食べさせて欲しいと言う。固形物は、もう何年も口に入れていない。ペースト状の何かを、しかし母は美味しそうに食す。食事のみ、能動的な唯一の楽しみである。それさえも奪われた、母の苦しみを思う。
まだ60代も序盤である。40代でこの病気を患い、20年頑張った。たまに面会に訪れる、二人の息子の孫たちに目を細める。実家の愛犬がはしゃぐ様を、少しだけ面倒くさそうに笑う。僕が元カノと一緒に選んで購入したブランケットを、未だに重宝してくれている。長く生きて欲しい。
ただ一方で、食べる喜びまで奪われて、代わりに胃ろうという大変な手術をした先に、母に何が待っている。医療の進歩は、寿命を延ばすことに成功した。だが本人が望んでいない策を施して、果たしてこの国は豊かになったのだろうか。根本的な対策は、病気の根治。それだけ。