趣味の一つに登山がある。
道具を揃えること総額30万円以上。
登ってきた山は数え切れず(否、そんなに多くはない)。
それが一昨年の一件以来、ピタリと止んだ。
まだ難病発覚前の2014年8月某日、僕らは白馬岳にいた。
一泊二日の山小屋泊の工程の終盤、僕の膝が死んだ。
レスキューの世話になり、後日、長野県警から請求書が届いた。
忌まわしき記憶が、脳裏に焼き付いて離れない。
以降、苦手意識が芽生えてしまった登山である。
払しょくするには、成功体験で塗り替えるしかあるまい。
とは言え委縮する僕を他所に、日帰り登山計画が組まれた。
挑戦するのは、南アルプスの北部の雄、甲斐駒ケ岳(標高2,967m)。
マイカー規制が敷かれている為、市営のバス(5:15発)に乗り込む。
金曜深夜2:40に自宅を出発、そこから仲間を次々にピックアップ。
中央道は甲府昭和ICまで飛ばしに飛ばして何とか始発に間に合う。
バスを乗り継ぐこと2時間弱、標高の高さと比例して紅葉が色づく。
北沢峠(標高2,032m)をバスで降り立った時刻は7:10。
ここから登山スタートとなる。
幸運なことに、晴天に恵まれた。
登山では特に、天気によりモチベーションが大きく左右される。
僕の他に仲間が3人、いずれ劣らぬ健脚揃い。
いつもの調子なら、ガイドブックの7割程度の所要時間でクリアする。
登りにおいて絶対的な自信を有していたはずの僕が、足を引っ張る。
この回転性の眩暈は、これはきっと脊髄小脳変性症特有のやつだ。
ペースがなかなか上がらない。
歩いては休み、転んでは休みを繰り返す。
一人だけ、肩で息をするようになる。
これまでは、前の登山者を追い抜いて当たり前だったのに。
先頭を歩くペースメーカーの男性友人は、僕と幼馴染み。
学生時代のサッカーや陸上で培った体力をベースに、今も健脚。
僕の後ろの女性2名は、大学時代からの友人関係である。
フルマラソンでは僕よりも速く、登山においてもガンガン歩く。
息も絶え絶え、やっとの思いで6合目まで到着。
圧倒的な存在感を誇る、甲斐駒ケ岳の山容が迫る。
ここ駒津峰(山頂)は標高2,752m。
その先の甲斐駒ケ岳の山頂まで、往復2時間半は掛かる計算。
登山のゴール地点は、山頂でない。
僕の折り返し地点はここである。
仲間3人に先を急がせ、僕はしばらく休ませてもらう。
富士山や北岳、仙丈ケ岳など、360°の大パノラマが美しい。
参考タイムよりも20分ほど早く、仲間が戻ってきた。
登山の醍醐味である山グルメに、今回は松坂牛を使った牛丼。
自前のコッヘルやバーナーが活躍する。
お味はもう、言わずもがな(4杯お代わりしてしまった)。
ここから苦手な下山であるが、これが絶望的な物語の幕開けだった。
サスペンションの壊れた車のように、僕の膝がまた死んだ。
ストックポールを突いても、脚が言うことを聞かないのだ。
前に後ろにと何度も転倒する度に、登山は終わりだなと言い聞かす。
ガックガクに震え続ける膝を、仲間たちがマッサージしてくれる。
更には女性陣にザックを預け、僕は友人男子の肩を借りる。
レスキューを呼ぶか、仲間三人はバスと電車で帰ってもらうか。
自力で立つことさえできずして、バス停まで時間との勝負である。
結果、最終便バスに間に合ったわけだが(出発しかけのギリギリ)。
ここまでの過程において、仲間の援護におんぶに抱っこだった。
両足のみならず、両手まで攣った時は、もうダメかと思った。
満身創痍の中で、人間の底力と仲間の協力姿勢の強さを見た。