日記でも、ブログでも、
日常的に文章を書いている人なら
分かってもらえる気がするのですが、
なにかに対しての不平不満だとか、
賛成できないことなら、尽きることなく
いくらでも探して書くことができます。
だって、世の中は不都合だらけですから。
クルマは渋滞しているし、
あちこちで事件や事故は起きていて、
政治はツッコミどころ満載で、
あの人は言うこと聞いてくれないし、
あれもこれも思うように進まない。
お天気ひとつとったって、
ぜんぜん思い通りになりません。
というような調子で、
気に入らないことを探したら、
なにかの小文を書くためのネタなんて
魔法の壺からもくもく無限に
出てくるように思います。
だけど、この壺のなかに
手を突っ込んじゃだめなのだと思います。
いったんそれをやってしまうと、
それは、もう、癖になってしまい、
やめられなくなってしまいます。
書いても書いても、
なにもよい変化なんてありません。
よろこんでくれる人が数人いたとしても、
だんだんもっと強い刺激を求められる。
社会や人間の"アラ探し"は、
いくらでも続けられるけれど、
やってるほうも、読んでいるほうも、
ぜんぜんたのしくありません。
なぜそんなことを書くのか聞かれても、
理由なんてじつはぜんぜん分からない…
もうしょうがないので、
「世のため人のため」ということにする。
世界中がこんなにろくでもないのだから、
「言わずにはいられない」ということにする。
だって、世の中は不都合だらけですから。
書くことがないなら、
書かなければいい。
ほんとうはそうです。
それができればいちばんいい。
沈黙できるのは強さです。
それでも、じぶんもひとつ言ってやりたい…
そんなふうに思ってしまったら、
書くためのツールはたくさんあるので、
そこに書きやすい不平を書き出してしまう。
気軽な気持ちではじめたことなのに、
やめられなくなる魔法の壺だとも知らずに
手を突っ込んでネタを取り出してしまう。
不可逆なんですよね、その壺は。
辛辣なことばは、文章を鋭く見せます。
だれかの失敗を笑ったり、
強いことばで責めたてる文章は、
刺激的で、スリリングで、ちょっと痛快。
でも、それは上手な文章というより、
目を引きやすい文章なんですよね。
人はいいことより、
悪いことを想像するほうが得意です。
だから、ついそちらに流れてしまう。
でも、"ことばの力"を育むのは、
むしろその逆なんじゃないかと思います。
「うれしい」をどう表現するか。
「たのしい」をどう伝えられるか。
それを試行錯誤することこそが、
"ことばの力"を育てていく道だと思います。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
闇を嘆くためではなく、
光を見つけるために書いていたい。
それが"ことばの力"を育む道だと
信じて書き続けています。
