法要という、やさしい仕組み | わくわく海賊団

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 人が亡くなったときに行われる法要って、

 ほんとうによくできているなぁと思います。

 

 仏教では、

 亡くなったあと7日ごとに7回、

 生前の行いを裁かれるとされていて、

 49日目に来世の行き先が決まるそうです。

 

 だから遺族は、

 故人がよりよい世界へ行けるように

 追善供養をするんですよね。

 

 経験がある方は分かると思いますが、

 最初の7日間はほんとうに怒涛の日々です。

 

 やらなけれないけないこと、

 決めなければいけないことが多すぎて、

 悲しみに沈みこむ暇さえありません。

 

 そうして少しずつ時間が過ぎていき、

 49日という節目にまた親しい人が集まる。

 

 ちょうど「もういないんだ…」と

 いなくなったことを実感しはじめる頃に、

 ひとりきりで抱えこまないような

 絶妙な仕組みになっています。

 

 考えてみると、法要は

「死者のため」だけではなく、

 残された人が悲しみのなかに

 立ちすくむことがないように工夫された、

 やさしい仕組みなのかもしれません。

 

 ただ、もしそれを最初から、

「残された人のためのものです」と言われたら

「そんな私(たち)のためにお忙しいなか、

 集まってもらうなんて悪い…」と、

 遠慮してしまうかもしれない。

 

 だからこそ「故人のため」という

 形をとっているんじゃないでしょうか。

 

 詳しいことは分からないけれど、

 法要というものの設計には、

 "人のこころ"への細やかな思いやりが、

 緻密に組みこまれている気がします。

 

 むかしから受け継がれてきた仕組みには、

「人が人として生きていくための知恵」が

 たくさん隠れているような気がする。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 古くから受け継がれてきた仕組みに学べば、

 日常のちょっとした場面においても、

 人を思いやる工夫ができるかもしれない。